「国語表現」の実践報告
(資料Z) 恋文に断りの返事を書く ※本校の生徒作品(女子の作品)
お手紙拝見いたしました。
いつの間にやら秋も深まり、紅葉があちらこちらで目を楽しませてくれる時節になって参りましたね。そちらはさぞお寒いことでしょうが、風邪などひかれてはおられませんか。こちらは父亡き後の過労からでしょうか、母が倒れ大変な日々でございました。けれども今では病状も落ち着き、ひとまず安心といった所でございます。ですから龍之介様、ご心配なさらないでくださいね。 かねてよりお話の件では、心のこもったお手紙をありがとうございました。一の宮の風景や、龍之介様の、腕組みをして歩き回るお姿までもが目に浮かぶようでつい笑みがこぼれました。龍之介様の正直なお気持ちを打ち明けていただき、身に余る幸せだと恐縮する次第でございます。 この一ヶ月の間、幾度も返事をお出ししようとは思ったのですが、母の事やら、他の細々とした用事やらで延び延びになってしまい、大変申し訳なく思っております。今でもなんと書いてよいのやら、筆もうまくは進まないのですか、思い切って書き上げてしまうことにいたします。 龍之介様。あなた様のお気持ちはたいそう嬉しく思っております。けれど、私は先日さるお方に強く望まれまして、その方に嫁ぐ事になりました。家柄も申し分なく、また、母の看病にかかりました薬代やら何やらをすべて受け持ってくださった方でございます。その方には本当に感謝しておりますし、もしこの方がいらっしゃらなかったら今頃母はどうなっていました事か…。でも誤解なさらないで下さいね。私は別にその借金のためだけにそのお方と結婚するというわけではございませんから。その方の、私を望んで下さる強いお気持ちに答えたく思ったのでございます。私の事で、龍之介様が胸をお痛めになることがあってはなりません。ですからどうぞ早く私の事はお忘れになって下さいませ。 お申し出を受けられぬ事、お許し下さい。龍之介様のご健康とご多幸をお祈りいたします。
九月三十日
塚本 文
芥川龍之介様※本校の生徒作品(男子の作品)
拝啓
一の宮館から見える夕暮れの早さに秋をしみじみ感じます。顔は見えないけれど、たぶんお変わりなく元気でお過ごしのことと思います。 ところで、あなたにどうしても伝えなければならないことがあります。 あれからじっくり自分ながらに例の手紙で言ったことについて考えてみました。あなた自身の気持ちは僕にはわかりません。でもあなたの気持ちを混乱させてしまったことは確かです。そう思うと後悔しないではいられません。 手紙の通り僕の経済的な力ではあなたを幸せにするどころか、不幸にさえしてしまうでしょう。仕事の方もうまくいきません。もちろんこの旅での仕事も到底うまくいきそうにありません。仕事だけではなく精神的な面でも安定せず、気が狂いそうにさえなるのです。そして、将来、母と同じように発狂するのではと思い、ぞっとすることさえあります。 要するに、私はあなたを支える自身というものがまったくないのです。どうか私のことや手紙のことなどは忘れて下さい。 まずは僕の気持ちを理解して下さいますようお願いします。お体をお大事に。
敬具
九月三日
芥川龍之介
塚本文様
[表現指導]へ戻る