日本画家
加藤 佳子さん(64)
津市幸町
病気克服し日展入選
新春は富士山でスケッチ
今年も夫と、初詣に出掛けて新年がスタート。「毎年違った神社で参拝するよう、夫が県内で行ったことのない神社を調べてくれるんです」と笑う。十日からは富士山へスケッチに出掛ける予定という。
このほど第三十九回日展の入選を果たし、会友になれる資格を得た。入選作は「ある日の砂山」。広大な砂丘に、前へ向かっていく、希望に満ち溢れるような雰囲気を出している。
日本画を始めたのは、津高校を卒業後に入社した中部電力のクラブ活動。絵は好きだったが、日本画と言えば「墨絵」というイメージを持っていたため、岩絵の具を使って描くなど初めて。新鮮で魅せられていったという。
結婚を機に退職し、育児もあって休止していたが、二男が保育園に入園してから再開。子どもたちに絵を教える一方で、クラブ時代に指導してもらった奥山芳泉氏(故人)が主宰する教室へ通った。
日展への出品は奥山氏の勧め。昭和五十七年に初出品した「忘れられた浜辺」が初入選し、その後も日展や日春展などで入選。技術をみがいた。
平成五年、奥山氏の死去によって津中日文化センターの講師を引き継ぎ、翌年からは津市の下村学園で日本画講師も担当。しかし日展の落選が続き、「泥沼に足を突っ込んでしまったと、苦しんだこともありました」と話す。
その後、がんにかかったが、絵をやっていたおかげで「前を向いて進んでいこう」と、素直に病気を受け止めることができた。幸いにも周囲に助けられ、乗り越えられたという。
七回目の入選後、息子から「会友になるには、あと何回入選しないとあかんの?」と聞かれたことで
目標が明確に。
達成した今は、恥じない作品を出していくことと、若い人にも日本画を知ってもらうためにも努力していきたい―と張り切っている。
今年は、主宰する佳旺会の五回記念展が控えている。この先、足が不自由になってもスケッチさえあれば制作できるから…と、精力的に活動している。
日展名古屋巡回展は、愛知県美術館ギャラリーで二十三日から来月十七日まで。加藤さんの作品も展示される。
(内田 敬子)
H20.1.9 第304号
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