明治末期の鳥羽港 左の島が御木本幸吉の真珠養殖の真珠島、中央の建 物が鳥羽造船所、後ろの山は安楽島の安久志、真珠養 殖はまだ本格的な産業には成長していなかった。港は 材木の移出や漁港としての機能が中心だった。
昭和61年ごろの鳥羽港 真珠島と鳥羽市街とはパールブリッジが架けられ、 駅周辺にはかつて南米移民に活躍した「ぶらじる丸」 が係留されて海洋パビリオンに、また鳥羽水族館、イ ルカ島海洋遊園地などの観光施設が充実した。安楽島 を含めて近代的なホテルや旅館、民宿、ペンションな ど約300軒、年間約570万人の観光客を誘ってい る。
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