明治20年ごろの尾鷲市 「尾鷲節」で知られる中村山からの町の中心部を望 む。右の2階建てが明治16年に新築された南学校( 尾鷲小学校の前身)、左の方の広場にその後、尾鷲小 学校が新築された。右上が尾鷲港で県下でも有数の漁 業基地である。当時の町並みはまだ海岸にへばりつく ように、ひっそりとたたずんでいる。
昭和61年ごろの尾鷲市の中心街 中村山の周辺にも人家が建ち並んだ。中央はNTT 尾鷲局のパラボラアンテナ、海岸部には中電の火力発 電所や石油コンビナートが建設され、港も重要港湾に 指定された。熊野灘沿岸では唯一の近代工業都市とな ったが、漁業の町として今でも太平洋岸有数の漁港と して年間約33億円の水揚げ量を誇っている。
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