住宅保全三重椛纒\取締役
藤後(とうご) 博司氏(46)
津市栗真町屋町
災害を教訓に危機管理≠
先月二十五日に起きた能登半島地震。全日本地震防災推進協議会と、NPO震災から命を守る会の三重支部長を担当している関係で、発生翌日に石川県七尾市・志賀町を訪れた。
屋根がわらがズレたり、少し家が傾いたり、地割れやブロック塀などが崩壊。避難所では排泄物の処理問題、水分補給を我慢して、身体に異常を引き起こすこともあるという。
この真実をみなさんにわかって欲しい―。家の中を見せてくれた女性の言葉が胸に突き刺さった。一方では、一人暮らしの老人宅を近所の人や親類が協力して片付ける共助の温かさ≠煌エじた。
嬉野町(現・松阪市)出身。大阪でアパレルメーカーの営業マンをしていた平成七年一月に阪神淡路大震災に遭った。幸いにも被害はなく、出産準備で帰省中の妻とも連絡が取れて一安心。しかし、阪神高速の倒壊などをテレビで見て事態の大きさを知った。
神戸市の被害は特に大きく、会社の人たちと奔走しながら水などの物資を調達。何時間もかけて被災地へ届けたり、取引先の応援要請に応じた。
復興にかかわった中で、「おかげさんで命だけはあったんで…」という被災者たちの声を聞き、命の大切さを再認識した。
「地震は今後も起こりうる。郷里へ帰って自分の出来ることをしたい」と退職。三重に戻り、平成九年に同社を立ちあげた。
異業種への転身たが、前職で養った情報収集力が生きた。知識などを身に付けるため地震に関する講演会、震災展などに参加し、建築士の資格も取得した。
家具を固定する場合、ただ止めているだけでなく、家具の重みやビスの大きさ、打ち方なども考えないと効果が薄い。ガラスの飛散防止フィルムや補強工事、ピアノ補強など、あらゆる補強策を提案する。
草の根的に事業を進めた結果、一般家庭や病院、保育園、オフィスなどから受注が。地震への不安を持っている人から「良かった。これで安心して眠れる」という声が寄せられ、仕事の大切さを痛感するという。
一方で体験の少なさが危機管理の甘さに繋がっている―と指摘。自助、共助、公助の各視点で災害の教訓を生かし、「こうしておけばよかった」「もし準備していれば…」の後悔や反省のない対策が必要―と警鐘する。
「これからも自分の命を守る具体策を提案。地震を含めた保全を訴えていきたい」と話している。
趣味はスキー、テニス、温泉。
妻(四二)、長男(中三)、長女(小六)、二女(小一)の五人暮らし。
(内田 敬子)
H19.4.25 第292号
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