松村 尚氏(52)
津松菱代表取締役社長
津市東丸之内
社員一丸で地域へ“恩返し”を
入社して約三十年。中山正勝・前代表取締役社長から「内部をよく知っている役員の中から社長を」と推薦され、五月二十八日付で社長に就任。「自立再生安定成長」の言葉をモットーに、社員一丸となって地域への恩返しを図りたいという。
鈴鹿市出身。子どものころは学校の先生になるのが夢だった。同志社大文学部で学び、中学一級、高校二級の教員免許も持っている。
昭和五十三年に入社。一年目は子ども服売り場の担当。「伝票を書いたり台車を押したりで、あっという間に過ぎた」と当時を振り返る。
二年目からは外商部に。新規顧客の獲得に外を飛び回る毎日。先輩からの引き継ぎ客を覚えたり、大阪府の大丸、名古屋市の松坂屋など、大手百貨店ともしのぎを削った。
「地元の強さ、身近さ」を信念に、どんな細かな注文にもこたえ、頻繁に足を運んで顧客をつかんでいったという。
お得意さまと台湾や香港、京都へ宝石や家具の“買い付けツアー”も実施。バブル全盛期を外商部で過ごした。二十年近くここに在籍し、総務人事部でも役員を。
平成十五年、バブル崩壊と増床時の借り入れ金返済に追われ、業績が低迷したが、産業再生機構で立て直しを計った。
経費削減のため希望退職、関連会社の清算を実践。人事部では、再生プランを考え出す側の立場として、リストラも行った。
“仲間を切る”つらさを味わう反面、地元の人びとからは「唯一の百貨店がなくなったら困る」という声も聞いた。
三回の改装で化粧品、呉服、貴金属の店舗を充実させ、百貨店らしさを強調したことが功奏。平成十七年二月の決算で、十三年ぶりの最終黒字に。以来、三年連続の経常黒字となった。
先月からは二百五十人ミーティングを実施。アルバイト、正社員、重役まで、全スタッフ一人ひとりと約三十分ずつ話し合っている。「事業再生時、社員はつらくて大変な思いをした。会社に大切にされているという実感から笑顔が生まれ、お客様に喜んでもらえる対応につながる。全従業員の声を聞きたいんです」と話す。
売り場の経験が少なく、勉強のため店内を回ることもしばしば。社員の声や動きに、以前より興味を持つようになったという。
「地元の人、スタッフに支えられてここまできた。これからはその恩返しをしていくつもりです」と、強く前を見据えた。
学生のころから自転車に乗ることが好き。自宅から職場まで片道十八キロの距離を、運動がてらに走って来ることもある。
鈴鹿市に妻(50)、長男(23)、二男(19)と四人で暮らす。
H19.7.11 第296号
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