(財)日本ユニセフ協会 三重友の会事務局長
杉谷 哲也氏(64)
鈴鹿市白子本町
途上国の子どもらの力に
初めて行った海外旅行先での衝撃が活動の原点≠ノなり、「日本ユニセフ協会 三重友の会」の事務局長として活動している。
年に数回、タイ北部の民族へ教育支援活動もしており、「そこには日本人が失ってきた大切なものがある。心の部分では逆に援助されているんですよ」と教えてくれた。
鈴鹿市出身で元高校教諭。初めの赴任地・水産高(志摩市)で生徒とのコミュニケーションがうまくいかず、校長から乗船研修を勧められた。
あこがれの海外。行き先も知らずに乗ったが、たどり着いたのは東パキスタン(現・バングラデシュ)。
陸に上がると、物乞いをしている子どもたちの姿。船に戻って差し入れを考えたが、船長から「気まぐれだけの親切じゃ、かえって子どもたちを死なせてしまう。これから自分に何が出来るかを考えろ」と言われ、無力さを悟ったという。
その後、四日市商業高へ転勤し、ギターマンドリン部の顧問に。当時は今ほど活発なクラブではなく、部員との雑談の中で自らが体験した途上国の話をした。そのとき「生徒たちの音楽で何かできるのでは…」とチャリティーコンサートを企画。そのときユニセフの存在を知った。
当時は「チャリティー」や「ユニセフ」の認知が低く、職員会議で理解が得られないなど困難が。やめようと思ったが、どうしてもあの子たちを救いたい―という思いで乗り越え、人びとの理解を深めた。
昭和五十一年に第一回コンサートを開催。以後、毎年の恒例行事として続けられている。「出会いというものは非常に大きい。誰と出会うかで人生の幅を広げることができる」というのが持論。社会福祉施設や小学校、幼稚園、地域のイベントに出掛けて演奏、清掃ボランティアなども取り入れ心の教育≠ノも一役、演奏力も全国レベルに上げた。
やがてユニセフからの期待も高まり、組織や途上国の様子など勉強。約三十年前から卒業生らと同友の会を続けている。
同校には二十一年勤務し、その後は石薬師高、白子高へ。そこでも生徒たちとユニセフ活動を継続。定年退職後は高田短大の講師、白子公民館長なども引き受け、足元から世界に向けて発信≠オている。
「ユニセフに出合えたのは生徒たちのおかげ。未来の子どもたちの夢を育てる学生、途上国の発展に貢献したいという人を現地に連れて行きたい。そして力になってほしい」と話していた。
写真撮影の際、ユニセフカードを見せてくれた。定価の約半分が、途上国の子どもたちを助けるお金になるそうで、クリスマスカードに最適なものもあった。
妻と二女の三人暮らし。
(内田 敬子)
H19.12.12 第303号
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