縄文博物館館長
 津市一志町
 山崎 三四造氏(77)

縄文人生活≠フ記録を後世に


 「今年は埴輪を五百個作ります。講演会場や博物館に来てくれた人にあげるんですー」と元気いっぱい。


 約二十年間にわたる縄文人生活を二年程前に終えた山崎さん。この人を知らないという人は少ない。今はこれまでの生活体験をまとめる整理を続け、毎日のように博物館の整備に奮闘している。 


 旧一志郡一志町出身。父・長五郎さん(故人)は、考古学の調査員として地元の古墳や住居跡の発掘に没頭。山九株式会社四日市支店(本社・東京)に勤務のころから父と供に土器のかけらなどをつなぐ作業を。こうしたことが影響、「日本に縄文人はいない。自分で研究してみよう」と思うようになったという。


 縄文時代に関する文献などをかたっぱしから読みあさり、五十五歳で退職。約七百万円の退職金で縄文式竪穴住居を立て生活を始めた。


 これがマスコミを通して話題になり、テレビや雑誌などのほか、国外からも取材に訪れるほど。やがて縄文人さん≠ネどと呼ばれ、異色な存在≠ニして注目を集めた。


 川で魚を捕まえ、山では狩りを。石おのや石包丁でさばき、皮は衣類や布団などに。肉はくん製にして保存する自給自足の生活を続けた。


このまま続けて良いかーと何度も不安になったが、見学に来た名城大の花田教授が「やり続けなさいー」と励ましてくれたこと、地域の人、そして何より家族の理解のおかげで厳しい暮らしが出来たと感謝している。


 引退を決意したのは体力の低下。「このまま死んでしまっては、世間に物好き≠ナやっとったんかと言われ、何も残らない。家族への恩返し。後世に残せるように…」と、二十年の節目でピリオドを打った。


 現在は、現役時代の生活道具を展示する同館間館長を。掲載された多くの新聞や雑誌の収集、写真の保存などの作業で記録の保存に当たる一方、講演を頼まれ、各地を訪れている。


 今月十五日には大阪府泉南市の古代史博物館で現役時代のエピソードをもとに「むかし」が教えてくれることの大切さについて話した。


 自分が体験したことを語ることで、今を生きる人たちに自然のすばらしさ、生きることの大切さを伝えることができたら嬉しいという。「あっという間の二十年間だった。この整理にはあと五年はかかると思う。今度は別の弥生人≠ノなりますよ」と笑顔で話していた。


 取材の時、これまでに作った土器や矢じり、勾玉などのコレクションが鑑賞でき、タイムスリップしたようにも思えた。


 趣味は健康になるものを食べること。


 市内で家族七人と暮らす。


 (木下 英里)


H20.3.26 第306号


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