背景は、手作り本の装丁(縮小)                                             

















 

P-75(つづき)

☆けんかしたの。でも無責任でラチが開かないんだ」

   ムスコに説明した。

  「そうですか。僕にはあんな会話、なんの話しだか少

 しもわかりません」

  「そう、じゃあ、いままでだいぶ、困ったろうね」

  「ええ」



   私はかわいそうになってきた。ローマまで一緒にいて

 やった方が、こちらのためよりも彼のためにいいのでは

 ないか、そう思った。



   おしっこがしたくなって、後ろの車両へ行くと、なん

 と、後ろにはさらに長い列車が連結されている。ニース

 では後ろにはもう一両あるだけだったから、イタリアに

 入ってから増結したに違いなかった。



   そこでさぐる気持ちで次の一両に足を踏み入れて見る ☆
P-76

☆と、そこには事務室様の部屋があり、今しも様々な書類

 に囲まれて執務する「男」がひとりいた。



   私は、この男に少しばかり「地位」を感じ、

  「ムッシュウ」と声をかけて、執務室の中へ入った。

  「エキュスキュゼムワ。  メ、ジェ、ルズルベ、セッ

 ト、ビエ(この席を予約したのですが)。イル、ニヤ、

 パ、ド、セット、ヴォアチュール(この車両がないんで

 す)」と券を示しながら訴えるところへ、折もおり、さ

 っきの車掌が通りかかり、執務室へ入って来た。



  「この方を、客席に案内しなさい」オフィサーは車掌

 に声高に命じた。

  「いや、さっきも言ったんですが、この人は…」



   私は、再びコノヤロウと思い始めた。

  「私の車両はどこにもない。私は探した。そしてなか

 った。あなたは、自分で確認してくるべきだ」とわめい

 た。



   するとオフィサーは、目をむいて言い返そうとする車

 掌に向かって、

  「ともかくこのお客さんの席を探しに行きなさい」と

 叱りつけるように命じた。



   車掌は不満げな顔をして通路に出て言った。

  「私は、次の次の車両にいます。二等車です。待って

 います」オフィサーにそう告げて私は戻った。私はもう

 期待なんかしていなかった。ワインの勢いで思い切りワ

 メいてやったぜ、と啓子に報告して、それで「安眠」し

 ようと思っていた。



   コンパートに戻ろうとすると、その付近が真っ暗でど

 れがわがコンパートなのか分からなくなっていた。



   夜だから、いいかげんにその辺をノックする訳にはい

 かないのだ。たしか二番目だったが、と、ノックして引

 き開けると、そうだったので安心した。



  「なんでや。真っ暗で分からんやないか」私はわざと

 大声で啓子に言った。

  「それがさ、あの女の人、困ったもんやに」と啓子は

 ムスコと顔を見合わせながら言い始めた。



   私が出て行って間もなく、この暑いのに(二等はエア

 ー、コンディションがないので暑かった)窓の上を指差

 し、閉めてほしいと意思表示した。次いで、親指を指に

 くわえるゼスチャーを何度もして、意思を伝達しようと

 するので、何がほしいのかと言うと、指の先、第一関節

 を示した。



   その形から、ピーナッツを示していた。つまり、ピー

 ナッツを呉れと言うのだった。



   窓の下のテーブルにはアルルの朝市で買った塩付のピ

 ーナッツが袋に入っている。啓子はそれを一握り呉れて

 やった。女はそれを食べながら、電灯を暗くせよと要求 ☆
P-77

☆したのだそうだ。そこへ私が戻ってきた。



  「ほんとに勝手者やに。ねえ」とムスコに同意を求め

 る。

  「ええ」と彼も、あからさまには女を見る訳にも行か

 ず、しかしいまいましそうに同意する。



  「暗いわ」私はできるだけ大声で言って、

  「ラリュメット、ジュ、ヴドレ」とオバハンに向かっ

 て言う。なぜかオバハンは、どうぞ、ってゼスチュアー

 をして、私は元の明るさに戻した。



   オバハンは、照れた笑いを浮かべていた。

  「勝手者なんやに」と啓子が繰り返す。

  「違うぜ。何か魂胆があるんだ」



   日本人しかいないコンパートへ手ぶらでやってきたバ

 バ。どこかに彼女の「本拠」があるはずだ。そしてなん

 のかんのと要求しても、日本人は逆らわない。



   暗くせよ、冷気を入れるな、などと要求して、通路に

 涼みに行ったスキに何かがなくなるだろう。



   また、彼女はなぜか扉のそばに、開閉の番人のように

 席を陣取ったから、深夜、仲間がこっそりと侵入すると

 きのアシスタントをもしよう。



   私はそう読んで、

  「気をつけなあかんに。なんでこの暑いのに窓をしめ

 るんや?  だれも寝よって言うとらへんのに、あとから

 入ってきてなんですぐ電気、消せ、なの?」



   相手は日本語のわかるはずもない。私ははっきりとこ

 う喋った。



   次に気に食わない「要求」を出したら、「ポルケ」か

 「プルクワ」(なんでや)とどなる積もりだった。女は

 相変わらずゴソゴソしている。



   そのとき、ドアが開いて、あの車掌が卑屈なまでにう

 やうやしく帽子をとって、

  「席に案内します」と言った。

  「あったの?」

  「はい、どうぞ、こちらへ」



   意外にも彼は私を後尾の方向へ誘った。そして、さき

 ほどの事務室を通り超えた次の車両に一等の97号車があ

 った。そこだけが通し番号を飛ばしてこの番号になって

 いた。



   座席の35と36。「ここです。よろしいか」



   私に文句のあろうはずがない。

  オーケー、you are kind.」私は手を差し伸べて握手を

  した。(もっと早くするんだよ)という言葉が出か

 かってはいたが、気分を壊さないように引っ込めた。



   コンパートには、二十過ぎの青年と六十を超えている

 品のよさそうなイタリアばあさんとが座っていた。



  「35と36です。すぐ来ますから」と身振りで示しなが  ☆
P-78

☆ら、フランス語を言った。



   すると、青年がいきなり立ち上がって「ワタクシは、

 ニホンじん、デス」と叫んだ。



   しかし、かれの手にする本は「地球の歩き方」のハン

 グル版だったから、(ウソ言うない)若い者が身分詐称

 して、なんだい、って思えて、

  「ナ、ヌン、イルボン、サラミーヨ(ワタクシハニホ

 ンジンデアリマス)」と朝鮮語を言うと、若者は目を見

 開いて緊張し、何かをぶつぶつ言いながら座り込んだ。



   私は部屋にとって返し、荷物を担いで、一等に向かお

 うとした。ムスコがとても気懸がりだったが、

 「元気でな」と無事を祈ってやった。このババアと明日

 の朝までいっしょだが、どうなることやら。



   チョソン青年は、これも英語はほとんどだめ、フラン

 ス語もイタリア語もだめ。日本語を習いたい、と言った

 が、これもコミュニケーションには程遠い。それでも大

 胆に世界を旅するから、若者というものはフリーだ。こ

 だわるべきものを持っていない。



   イタリアおばさんは、イタリア語しか話さない。通じ

 ないとわかっていても、ときどき私に何か話す。フラン

 ス語に似ているところは、フランス語で言えば、ほんの

 ちょっとだけコミュニケートする。それで調子づいて続

 けると、全然だめ、そしていらいらして諦めることにな

 る。



   ここはノン、フュメ、つまり禁煙室なのだが、チョソ

 ン青年は何度もタバコしに通路へ出る。そのたびにこの

 おばさん、「このロクでなしが…やめとけばいいのに、

 また吸う」っていう雰囲気で罵る。



   若者がコンパートの外へ出てからいまいましげに罵る

 のはもちろんだが、彼がたばこを手にして立ち上がる前

 にすでに罵り始める。



   もう寝よう、この部屋に落ち着いたんだし、と私は思

 った。



  「もう寝ましょうか」私はおばさんに言った。ドルミ

 ールという単語は、イタリア語にもあり、通じた。



  「いえ、私、寝ません」おばさんは険しい表情で首を

 横に振った。



  「じゃあ、私は寝ません。あなた、寝てください」

  「いや、めっそうもない。私は絶対に寝ません」表情

 が真剣だった。



   夜行列車は寝るものではありません、彼女の顔には真

 情が溢れていた。



   私は、あかあかと電灯をつけたまま、明朝まで寝ない

 のが正しいのだ、と理解した。



   時々話し、行き詰まって諦め、真っ暗な窓外を意味も

 なく見つめる。こうして夜は更けて行った。私は寝るこ ☆
P-79

☆とを諦め、ノートに記録を書いたり、思索に耽ったりす

 る。



   二時を過ぎていたであろうか、一瞬の心のゆるみだっ

 たのか、ふと気付くと、ウトっとしていた私の左に、目

 の青い青年がいた。私には事態が飲み込めない。立ち上

 がったばかりの青年を、はっきりしない意識のままで見

 つめる。青年は、

  「パルドン、パルドン」と、なぜかオドオドしながら

 繰り返す。



   一番の通路側にチョソン青年、ひとつ座席が空いてい

 て、そこにチョソン青年のタバコや本、その他の雑な品

 物が座席の上、いっぱいに広がっている。私は窓側、だ

 からその小間物を散らかした座席は、空いている訳だ。



   寝ぼけの私は、この目の青い青年が、ここの席に座っ

 てもいいのか、と言っているのだ、だから「パルドン」

 なんだ、と解釈した。



   そう思っているから、「パルドン」を十回ほど聞いて

 から、「シイ」と答えた。



   イタリア語では、はい、を「シイ」と言う。



   青い目の青年は、私の「シイ」を聞くや否や、眠って

 いるチョソン青年の脚をサッと飛び越えて、通路へ出、

 左の方へ走って消えた。



   そして彼は二度と再び姿を現わさなかった。しかし私

 はそれからしばらくの間は、彼がここの座席に移ってく

 るために荷物を取りに行ったんだと信じていた。



   私は、三人の眠った表情が明るい電灯の下で静かに息

 づいているのを順に見ながら、次第に意識を覚ませてい

 った。



   すると、先程の青年は、何かを私に見つかったので、

 「パルドン、パルドン(許して、許して)」と繰り返し

 ていたのではなかったのか。もしそうだとしたら、悪業

 を働き始めたとき、被害予定者=私が目を覚ましてしま

 ったので、私に現場をはっきり確認された、と加害者は

 理解したのではないか、と思い始めた。



   しかし、私のウエストバッグもその他の持ち物にもな

 んら異常はなかった。あったのはチョソン男と私の間の

 空席が、チョソン男の煙草や本などでばらばらと散らか

 されていたことだけだった。



   目の青い青年は再び姿を現わさないと思えるほどの時

 間が経ってみると、私は彼が夜行列車の、しかも一等専

 門のドロボウだったと確信しはじめていた。



   こんな治安事情だから、現地のイタリア人は「絶対に

 寝ない」と決心していたのだ。



   私は啓子を起こして、

  「いまさっき、ここにな、男がおって、何遍もパルド

 ン、パルドンって言うのや。ヨシ、って言うたもんで、 ☆
P-80

☆飛び出して行ったに。…あれはな、ドロボウ…」



   啓子は(また、人を疑うとる。そんなに悪い人がおる

 かさ)と言う目で見返しながら、

 「そやろか」とだけ言う。何かなくなっていないか、と

 は言わない。



   そのとき、向いのおばさんには言わなかった。寝ない

 はずだったのに、寝ていたから起こすのも悪いと思った

 し、また言えば、大騒ぎになりそうだったからだ。



   あと一時間ほどでローマというあたりで、

  「ここに男が…」と手真似とフランス語で話すと、案

 の定、まさに「驚愕の表情」で、

  「何を取られた?」と私の腰周りをみつめた。

  「Nothing」とはっきり答えたにもかかわらず、彼女 

 は飛び出していった。すぐ隣のコンパートを覗いて、

  「だれか英語を話す人はいないの?」と叫ぶ。

  「ジャーパンがドロボウがいたとか言ってる。早く来

 て」



   そこで赤黒い小柄な男がおばさんに連れられて入って

 来た。

  「こんな青年がここにいたんだ。それだけだ」



   私は(もういい)と言った表情で説明した。

  「いつ?」

  「大分前、二、三時間も前の夜中だ」

  「何か盗られた?」

  「いや、何にも」

  「…」



   そこでおばさんが、(どうだって言ってる?)(車掌

 を呼ばなくていい?)とか執拗に、私にではなくその男

 に言っていた。



   列車がローマに近づくと、停車駅も多くなり、速度も

 遅くなっていった。



   バチカンという駅があった。鉄道はサンピエトロのこ

 んなに近くを走っている。高架になり、地下になりしな

 がら「終着駅」のテルミニに到着した。





 ■  八月  二日  ■



   テルミニには、7:00に着いた。乗り換えの列車がどれ

 なのかは、ホームを少し注意すればすぐ分かる。けれど

 も発車時刻掲示板で確かめないと安心できないのだ。  



   私は走って、ホームの根元まで行き、掲示板を確かめ

 た後、ホームの駅員に「これでナポリへ行ける?」と尋

 ねた。                                            



  「イエス」鉄道員の声は、太い。                  



   大きな座席が三列、つまり左側は二人掛けが向かい合

 って四人の場所であり、右側は一人座りの椅子の向かい ☆
P-81
                                             

  8/2     Roma(Termini)   Napoli(Centrale)      

   Thu          7:00 -------- 9:50::両替         

          駅地下              Pompei    宿さがし  

        (Napoli F.S.)---30分---(Villa del Misteri)

          午後いっぱいポンペイ見学          

           Pompei(Villa del Misteri)      Sorrento 

              16:00ごろ----- 30分 ------- 16:30   

           Napoli(Centrale)へ           夕食と宿泊






☆合わせ、つまり二人連れ用になっている。



   コンパートでなくて、このようにオープンの一等の車

 は、たいていこうなっている。(あとで乗るTGVもそう 

 だっ た)



   乗ってすぐ、まだ列車が発車する前だったが、また子

 供が入ってきて、カンパを訴えた。



   私には金をやる気はない。



   数席隔てた男が、札を恵んでいた。リラは100円位の 

 価値でも額面では800リラにもなる。100リラ札を8枚も

 渡せば、こちらから見ていると 大金に見える。しかも 

 やった後で、男は坊やに微笑んだ。



   女の乗客は出さなかった。



   斜めの乗客は、大きくて黒い女だった。愛想が感じら

 れないがうまく化粧はしていた。



   その女が財布をそっと出して、中の札(ドル紙幣だっ

 た)を勘定している。出稼ぎだろうか。



   そのうちに車掌が検札にきた。するとさっと風のよう

 に姿を消して、たぶんトイレかに行ってしまった。



  「あんなんキップ持っとらへんに」と啓子が言った。



   ヨーロッパでは、そのつもりならばいつでもタダ乗り

 ができそうだ。私もその様子から啓子の言うように思っ

 ていた。しかし、だ。再び車掌が回って来たときには、

 黒いハンドバッグから、きちんと乗車券を出していた。



   ナポリへの道中、だぶんたっぷりまぶしいばかりに海

 が見えるだろうと期待していたが、ほとんどの景色は山

 であった。



   日本によく似た畑がある。



   苦しいほどに暑い田圃にトマトが広々と作付けされ、

 倒れてもつれる茎の中から赤い実をもいでは篭に入れて

 いた。黒人の労働者もかなりまじっていた。



   南イタリアの農作物はトマト。スパゲッティはこれで

 決まる。



   ナポリ駅で改札を出るとすぐ、男が近づいてきた。啓

 子の表現をかりれば、「ノートルダのセムシ男」のよう ☆

                                             
P-82

☆だった。



   しかし笑みをたたえながら「ホテルは決めてあるか」

 と聞く。

  「いや、まだだ。けど、自分で探す。それより、両替

 はどこだ」



   すると男は「こっちだ」と、出札横の、日本で言えば

 観光案内などがあるような場所へ同道した。真ん中の窓

 口に人が並んでいる。



   しかし、お金を替えている様子はない。順番が回って

  「どうぞ」と言われ、そこは案内(information)で 

 あることがわかった。



   明日の寝台車の切符を買いたい、と言うと、先程歩い

 たコンコースにずらり並ぶ出札口のNo19,20,21で買うん

 だ、とわざわざその窓口Noをメモ用紙に書いて渡してく

 れた。



   だから私たちは二十人あまりも並ぶ列の、その後ろに

 並ぶ。そして長時間、文句も言わないで辛抱する。



   番が近づいてきて、どうもここは明日の分の切符を売

 る窓口ではなさそうだ、と気付いた。



   しかし、案内が書いたメモも持っている。そのまま窓

 口へ「August 3.Roma(22:55)    Milano  Sleeping car

 2 person」と書いた紙を差し出し、ユーレイルパスを示

 しながら、「リザヴェイション、プリーズ」と言った。

  「今日の?」

  「いや、ほら八月三日、明日だ」とメモのその部分を

 指差す。

  「Np 22だ 。ここは本日分」

  「いや、インフォメーションは、ここで買えと言った

 んだ」

  「だめ、ここは、今日の分だけ」

   クソっと思いながら妥協して、No22の最後尾につく。

 どっと疲れが出て、(ああ、また二十分も立って待つの

 か)と嘆かわしくなる。



   さらにイヤなことには、イタリア人の中には割り込み

 野郎がいて、子供や女の人に巧みに話しかけながら肩を

 並べ、知り合いのように装って割り込む。



   私の二人前にも割り込み野郎がいて、私はすぐ前のシ

 ャキッとしない「割り込まれ男」に再三、「この人の次

 はあんただ」と意思表示をしたが、結局、彼は「割込ま

 れ」に立ち向かう勇気を持ち合わせなかった。



 (翌日、ローマであったフィンランド青年は、割り込み

 野郎を断固拒否した。並ぶでもなく並ばぬでもなく列に

 近づいていて、数分後、市民権を得たと思ってか、窓口

 に両替の手を出したトタン、青年は大声で、私の番だ、

 と宣言し、男を拒否した。男は一旦は負けて青年の後に

 入ろうとしたが、私はすぐ青年の背中に続き、割り込み ☆
P-83

☆野郎をにらみすえて「権利」を守った)



   ローマ、ミラノ間の寝台は買えた。私は、初めてのヨ

 ーロッパ旅行で乗った、あのオリエンタル特急の寝台車

 を想像して、幸せになった。



  「よし、さあ、今度はホテルさがし」ふたりは勢いを

 つけて、駅の表へ出る。そこにはタクシーや客引きなど

 がお客を物色していた。



   駅前の広場を取り巻くビルをぐるっと見回すと、ある

 ある。ひと目でいくつものホテル看板が見える。



  「どや、あの一番近いとこをまず聞いて、駄目なら次

 のとこへいくか」



   これだけ目につくのなら不安はなかった。どれかに気

 に入ったのが必ずあるはずだった。



   駅前右側を五十メートルほど進んだところに、Hotel 

 Bristolがあった。



   面長、赤ら顔の主人は、フランス語も英語も分かると

 言った。



   部屋はある。ヨーロッパで部屋がないなんてことは、

 めったにないのだ。



  「風呂は?」

  「ああ、もちろんあるよ」

  「見てもいい?」

  「ちょっと、待って。アア、マリーア…マリーーア」

 と階上へ向かって声を上げる。



   しばらくして、掃除中の三十女がゆっくりと降りてき

 た。



  「案内、してあげな」と言い、鍵を渡した。

  「私の妻が部屋を見る。私はここに止まる」

  「ok」



   かくして妻は女について上がっていった。しばらくし

 て降りてきて、



  「広いに。風呂もなあ、大きい」

  「で、気に入ったんか?」

  「うん」相手は日本語が分からぬとなれば、夫婦の会

 話には品性がない。



  「そんなら、決めよか、値段、聞いてから」

  「うん」

  「コンビアン?」

  「How many days will you stay?」

  「Tonight only.」

  「85000(エイティファイヴサウザンド」



   私は通貨換算表をポケットから出して見た。円、フラ

 ン、ドルとリラが一覧表になっている。私は最初のヨー

 ロッパ旅行のときからこれを作ることにしていた。



  「一万円ちょとやな。…さがせばもっと安いとこある

 かも知れんよ。…でもここでええんやないか?  駅、す ☆
P-84

☆ぐそこやし、風呂、大きいんやったら」

  「ええに、部屋、広いし感じええ」啓子がそう言うな

 らよかろう。



  「ムッシュー、ダ、コール」私は決めた。



   そして、サインをし、今までにないことだか、すぐ返

 すから、とパスポートを出すように要求され、私はフロ

 ントの隅でズボンを下げて出して渡した。



   螺旋状に上がって、その部屋に案内された。



   東の通りの真上にあった。こんどのヨーロッパ旅行で

 このホテルが一番広かった。風呂も部屋も。そして、駅

 へはホンの一足だった。名古屋なら駅から豊田ビルまで

 もない。



   私たちはこれからが忙しいのだった。ゆっくりしては

 おれない。荷物を置くとすぐ再び駅へと向かった。



   ナポリ駅の地下から、チルクム、ヴェズビアーナ鉄道

 が出ており、それでポンペイへ向かうのだ。駅に入ると

 すぐ、さきほどの「せむし」風の男が、寄ってきた。



  「ホテル、見つかった?」

  「ありがとう。もう決めた。で、ポンペイへ行くの。

 どうやって?」

  「ああ、こちら。どうぞ。…ほら、この通路のあそこ

 で切符を買いなさい」



   そばまで連れていって、教えてくれた。

  「ありがとう。で、あんた、仕事は?」

  「ツーリストですよ」



   客引きではなかった。今回、ナポリでもローマでも駅

 から出てくるお客に、近づいてご用聞きする人員を幾人

 も配置している。これはイタリア人が、多分、「どこか

 の外国」に学んで「サービス」することにしたのだろう

 が、私は助かった。



   窓口上には路線図があって、「ヴィッラ、デル、ミス

 テリ」とあるのを見つけて(ここでよし)とばかりに窓

 口を覗きこんで大声で、

  「ヴィッラ、デル、ミステリ。ツー、パースン」と叫

 ぶと、ムスっと切符が二枚出され、皿状にへこんだ窓下

 にお釣りが押されて来た。無愛想。



   地下へエスカレーターで降りる。簡単に「降りる」と

 書くが、実はこんな何でもないことが一々大変である。



   初めてのところだから、二つのエスカレーターのどち

 らへ降りれば上り、つまりナポリの市中の終点行きなの

 か、それともベスヴィオス火山やポンペイ、その先のソ

 ッレント行きなのか、見究めてからでないと、エスカレ

 ーターの上に足も出せない。



  「待てって。どっちのホームか分かっとんのか」と啓

 子を制して、掲示物を確かめ、手前のエスカレーターを

 選んで降りる。                   ☆
P-85

☆  鉄道は左側通行だ。だから上りか下りかは迷わない。

 しかし、この路線は途中でベスヴィオスの方へも分岐す

 るから、行く先も確かめねばならぬ。



   幸いにまずソッレント行きが来た。



   ポンペイ遺跡のすぐ下に駅はある。駅とそれにくっつ

 いたレストランが、そしてちょっと向こうに土産物屋が

 数軒見える。



   日本の観光場所に比べれば、「寄生虫的店舗」がはる

 かに少ない。



   遺跡に入れば少なくとも二時間は見学に要するだろう

 から、私はこのリストランテで食事をしようとした。も

 ちろん朝飯はまだ食べていなかった。



   半身に日の当たる露天のテーブルに寄って、

  「ここ、いいか?」とボーイに言うと、

   どうぞ、ぜひ、と合図した。

  「スパゲティ、えーっとワン。アンド、…おまえ、何

 にする?  そう。  ドウユー、ハヴ、ミルク?  シイ、

 ウオント、ミルク、オンリイ」



   するとボーイは、店の中の冷蔵庫から箱入りのミルク

 を出して、持ってきた。



   ヨーロッパで純粋のミルクだけを飲ませたのは、この

 食堂だけだった。



   若干待って、「ミラノならスパゲッティ」と彼等の言

 う赤いスパゲッティを食べた。



   特にうまかったとも思わなかった。が、まずいことも

 ない。脂ぎって飽きることもなかったから、やはり本場

 のものと言うべきか。



   遺跡に入る。歩く途中に「ガイドはしていらないか」

 と立った男が誘う。私はそう言うのに慣れないから、

  「ノー、サンキュー」と通りすぎる。すると次の場面

 でもまた、「安くガイドする」の「いいところが見られ

 るから得だ」のと、呼びかける。



   そうしつこくもない。二回目の私はこの遺跡に対して

 タカをくくっていた。



   広場にで、地図に合わせてポイントを見ればいい、そ

 う思って、まず神殿の跡とやらに入り「そう言えばそう

 かなあ」などと言いながら、ビデオを回す。さらに入っ

 て大劇場の跡、大浴場の跡。およそかつて何がどうなっ

 ていたかは想像がつくが、だからといって、よくぞ発掘

 したと私の人生観をゆさぶるでもない。



   再び「町」の中央の通りへ出る。こんな大きな都会が

 埋もれ、しかし、発掘できて、各家には番号が白い石で

 31とか56とかきれいにはめこまれている。ロ−マ時代の

 当時に、夜目にもはっきりとわかるように石を選んだと

 いう。また数字が美しかった。



   団体さんが、日本以外からも来ている。だから通りか ☆
P-86

☆かりながらガイドの説明をタダで聞く機会に恵まれる。



   ○○番の屋敷は▼▼の家とよばれ、こんな人が住みこ

 んな使用人を抱えていた、なんて2000年も前のことを、

 この間のことのように「復元」し得ている。



   楔型文字の解読やギリシャ遺跡の発掘など、豊富な経

 験を有するヨーロッパ考古学の偉大さをかいま見てしま

 った。



   酒池肉林の美食の限り、歓楽の限りを尽くした大理石

 の「嘔吐盤」を啓子に見せたかった。



   私は地図上にそれを見つけて啓子を誘った訳ではない

 が、どこかの国の観光団体の後ろについて、細い通路の

 奥に入ると、浴場の跡に出た。そして次の部屋がそれだ

 った。



   いまだに蒸気が残るかのような気配と、ワインの匂い

 (香りとはいえない)が妖気になってうごめいていた。



   その手前の部屋には、子供を守りながらそのまま息が

 絶えたと思われる二体の女性が、ガラスケースの中に横

 たえられていた。



  「ビデオに撮らへんの」と啓子が促した。



   しかし、私は撮らなかった。人は、やはり難しく言え

 ば「尊厳」を有する。見物の具にはできない、そう心の

 中で論じて、暗い通路を引き上げた。



   もう一箇所は、娼婦の部屋がいくつもある屋敷へ行き

 たかった。が、どう行けばいいのか、この広い一世紀の

 都会に、迷子心理でたたずむ。



   そしてあてずっぽうに移動する。



   幸運にもあの中庭を復元した屋敷に行き当たった。池

 を作り、その周りは回廊。洋の東西を問わずある豪華な

 建築の在り方だ。回廊にはさまざまな絵図が描かれ、ま

 た彫刻物の置物を配し、小部屋が池に入り口を向けてい

 た。



   私たちは当時の思いに浸りながら、回廊を一周した。



   東側には、大部屋があった。たぶん宗教的な部屋だっ

 たに違いない。壁の漆喰には厚く絵の描かれたあとが残

 っていた。



   さてこの中庭に至る途中の通路脇には、寝台とほんの

 ちょっとのスペースだけの小部屋がいくつも連なってい

 た。



   だれも解説してくれないから、自分で想像する。娼婦

 が客を取った所だった。



   壁の絵が、いかにもそう見えた。



   果物や魚、歓楽の景物のからまりあい。現代人の寝床

 の置かれる部屋にしてはあまりにも小さい。日本の六畳

 の部屋よりもちょっと狭いのだが、金で楽しみを買うほ

 どの人間がこんな狭いところで…と言う思いと、やはり

 見知らぬ女性と肌ふれあうとき、なるだけ狭く暗い、他 ☆
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☆人を拒絶した場が好ましかったとすれば、2000年前の男

 も現代人も、同じ「いきもの」として同じ「行動や思考

 のパターン」を持ったものだったのだ、と実感されてく

 るのだ。



   そんな思いの最中、突然、狭い裏口から「男」が現わ

 れ、「お金を出せばとても良いものが見られるが  」と

 誘ってきた。



   私たちが覗こうとすると、そこに木の扉があった。男

 は、前をさえぎっていた。



  「いや、ノー、サンキュー」と私は誘いに乗らない。



   男は諦めなかった。相手は複数だ。今日のカモと思っ

 たか、必ず得するんだ、と誘う。しかし、当方はあくま

 で断わる。



   淫にして猥なるものだったのかも知れぬ。高価な国外

 不出の芸術だったかも知れぬ。だが、振り返らずに中庭

 のある大きな屋敷を後ろにした。



   啓子は夏の日差しが大嫌いで、日が輝る、暑い、と歩

 くのをいやがった。せっかく来たんだから少々は辛抱し

 て、がめつく歩き回らねば損だ。



   私たちは「損」を意識しながら、この大きな遺跡のほ

 んのちょっぴりを覗いたたけで、早くも出口へと坂を下

 っていった。



   道の両脇に立つガイド達は、もはや誘いの声を掛けな

 かった。しかし、どの男も貧しそうで、この男達に数千

 円手渡していたら私たちは短時間で今よりもはるかに有

 意義な見学を成功し得たのかもしれない、と、胸の中で

 チクリと後悔し、ケチもほどほどにしなけりゃあ、とも

 感じていた。



   駅へ戻ってきた。私たちはさらに遠くへと、再び電車

 に乗る。ここから岬の先端の方へと走ると、終点はソッ

 レント。



   私は「帰れ、ソッレントへ」の歌を心に繰り返しなが

 ら、岬を、海を、港をイメージしていた。



   電車は、なんと乱暴な、いつ脱線したって不思議では

 ないほど、暴走する。とくに岬の先端に近くなると、山

 や斜面を削りとったり、トンネルに掘ったりした所を走

 るのだが、単線区間のトンネルでは、目をつぶらねばお

 れないほど暴走した。



   そんな険しい場所に、鉄橋があり、その下に話のタネ

 になるほどの深い谷があった。が、アレッと思う間に走

 り過ぎて、駅になる。



   私は努力してこの場を覚えて、帰りにはここを丁寧に

 ビデオに撮った。



   ほどなく列車はソッレントの終点駅に入った。      



   この駅は地形で言えば熱海のようだ。だが、熱海のよ

 うに海岸通りもお宮の松を植えるような平場もない。急 ☆
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☆角度で海に入り、岩の壁に青い海水がぶち当たるばかり

 であった。



   ホームから改札までがすでに急傾斜で、一階降りて改

 札、もう一階降りて駅前の広場、とまでは行かないがタ

 クシーが客を呼ぶ。さらに下って通りをまっすぐ海の方

 へと進む。



   予想に反して落ち着いた町があって、人気が少ない。

 何かあったときのことを考えると、もうほんのちょっと

 人がいるほうがいい。



   海岸に平行な通りに出た。車も走っている。その向こ

 うの低いところに海があった。しかし残念なことに通り

 より向こうは高級ホテルで、右手の遠くにも左手の遠く

 にも海へ通じる道が発見できないのだ。



  「ええに、入ったろ」と私は堂々とホテルの庭に入っ

 た。大きなポーチがあり、昼間でもオレンジ色の明るさ

 が保たれていた。



   庭にはパラソル付のテーブルと、いかにも寛いだ椅子

 があって、サングラスの中年男女が、話すでもなく憩っ

 ていた。男は背広にネクタイだった。



   素知らぬ顔で傍を通り抜け、庭の先端の崖に出張った

 手摺りの方へ近づく。心の中では、今にも「だれだ、何

 しに…」とホテルの職員から声がかかるのではないか、

 もしそうなったら、「えっ、入れないの?」と殊更のよ

 うに目を大きくして驚いて見せ、そして愛想よくにこや

 かに「失礼…」なんて振る舞って、難を逃れようか、と

 身構えながら歩を進め、手すりに達した。



   見下ろす海は熱海を凌ぐ高さ。右の方の下に船着場が

 あって、数十メートル離れたところに今離れたばかりの

 観光船が船体を揺すりつつ漂っていた。



   こんな凪の日に、あれだけ揺れていたのだからカプリ

 島観光は、景色もさること、荒海を楽しむアバンチュー

 ルの側面を多大にもっているはずたっだ。



   予定は、ガイドブックにあるように、ここからの「ナ

 ポリ湾の入り日」を楽しみ、そして「ヨーロッパの海鮮

 料理」でも楽しむはずだった。



   しかし、このことは旅日記中にしばしば言うが、日没

 が遅いのだ。私の少々の努力ではどうにもならない「時

 差」というか「日周差」とでも言うべきものが、厳然と

 存在して、もしも夕日を見るとならば、「寝ないで真夜

 中まで待つ」ような覚悟が要る。



   六時を過ぎていた。午後の三時にしか思えない明るさ

 の海に「入り日」を期待すべくもなかった。



   再びハイソサエティ夫婦のテーブルの横を、素知らぬ

 顔して通り抜け、自動車の滑る通りに戻った。



   そのまままっすぐ戻るのも味気なく、右から一界隈を

 回って駅の方へ戻った。               ☆
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☆  町は夜の賑わいに備えてか、左官や大工、ペンキ屋な

 どが、客のいない店を改装している。そんな場面に数度

 出会った。



   駅の喫茶店で何かを飲んだ。小母さんは親切だった。

   ナポリへ戻る道中はかなり長い。ガラガラの座席に広

 く席を占めていたのが、再びポンペイ下を通り、山から

 離れるあたりから込み始めた。



   工員の仕事上がりのような男達が、私たちに関心を持

 ち、何でもないことから会話するようになった。



   雷が聞こえ、まもなく夕立ちが窓に降り込み、電車が

 止まった。たぶん変電所に落雷でもしたのだろう。二十

 分ばかり立ち往生した。そして、ナポリチェントラーレ

 は終点ではないので、辺りによく注意を払い、駅名を確

 認していると、男が自分が降りるから心配しなくていい

 と言った。目つきはそう美しくはなかったが、彼の行動

 は親切心に溢れていた。だから、ナポリの地下道から国

 鉄のナポリ駅の連絡通路の出口までずっと後ろに従う私

 たちに注意を払いながら歩いてくれた。



   私よりもかなり背の低い男だった。国鉄の電話関係の

 仕事をしていると言った。



   ナポリの駅の左口にスーパーマーケット風の売店があ

 った。品物を自分で取り、物によっては冷蔵庫を開けて

 取りだし、レジへ持って行く。



  「これ、牛乳やぜ。フレッシュって書いてある」それ

 は紙パックに入って、値段も百円少々に抵たるから、そ

 う信じた。しかし、パックを開けて水であることがわか

 った。いずれ水は買わねばならぬ。別に後悔もしなかっ

 た。



  「さあ、どこで晩飯、食うかな」



   駅を出、街を眺め回して言った。どこかのリストラン

 テでイタリア料理を食べようか、と思ったからだ。



  「まあ、どこかで適当な店に出会うわさ」と少し歩く

 と、我がホテルのほんの手前に、あった。だがリストラ

 ンテではない。つまみ食いする店、バ−ルであった。



   ガラスのケ−スには、大皿に入ったご馳走が十数種類

 もあった。茸のいためもの、幅のひろいマカロニ、和え

 ものをたっぷり交えたサラダ、肉、魚、貝や蟹など、ど

 れもこれも食べたいものばかり。



  「これ買うて帰って食べよか」と中に入った。すると

 このガラスケースの前に、丸い小さな木の椅子があり、

 幅二十センチほどのカウンターが腰の高さにつけてあっ

 た。



  「ピュイジュ、モンジェ、イシ?(ここで食べてもい

 いの)」

  「ア、シイ」



   私は荷物を人に邪魔にならぬように降ろして、カウン ☆
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☆ターの端に積んだ。



   そして注文の時が楽しい。



   ヴァイキングの食事はいつも「欲」で胸が躍るが、こ

 こでもそうだった。



   何を食ったかは忘れたが、茸やサラダやその他美味し

 そうなものを皿に盛らせた。そしてビールを注いでもら

 って、品数多いガラスケースの中を覗きながら豊かな気

 分で食事をした。



   お客が何人も入ったが、座る人もいる、また銀紙に包

 んで持って行くものもいる。こんなに少し?と疑問に思

 うぐらいつましく銀紙に包ませている若夫婦らしいアベ

 ックも、私の背中越しに店員とやりとりしていた。



   有名なナポリだ。夕べの街を散策する気はない。この

 満たされた気分で十分だ。



   大きなバスタブにお湯を満たし、棺桶のなかにゆった

 りと寝るような気分で、湯につかった。



   湯は手ごろな温度になるのに手間がかかったが、たっ

 ぷり使えた。お湯を落とすとあとに黒い土か何かが底に

 残った。





 ■  八月  三日  ■



   ホテルの支払を済ませてから、

          

   8/3   Napoli Centrale バス --- メルジェリーナ港

   Fri.   ナポリ湾を観光      海岸通りを歩いて  

       メルジェリーナ ---市電---  Napoli Centrale

        Napoli(centrale)      Roma(Termini)     

              15:15 ---------- 17:45   22:55 ---  

                         Milano                  

        --- 車中泊 ----- 8:20     

                                            

  「昼までこの荷物をここに預かってくれないか」と交

 渉すると、快く引き受けてくれた。



   身軽になって駅に入った。すると昨日のセムシやんが

 近寄ってきた。



  「ナポリ湾を観光したい。電車で行く」と言うと、

  「あそこのバスがいい」と教えてくれた。



   駅前にはバスが幾十台もたむろする。路線が多そうだ

 から地理に暗い私には乗れそうにないが、切符売り場の

 ボックスを覗き込んで「メルジェリーナ、二人」という

 と、売った男の発音は「マルジェリーナ」と聞こえた。



   バスに乗る。覚悟を決めて乗ったからにはもはや遠慮

 なんかしない。



   人の所作を見ていると、バスの中に切符を自分で突っ

 込んで通す機具があって、入れると切符の角が四角く切 ☆
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☆られて、ちょうど駅員がパンチを入れたようになる。私

 もまねる。



   イタリア人は人なつこいから、そんなとき、必ず誰か

 と目があって「これでいいの?」って表情。

  「ああ、それでいい」って表情。



   こんなコミュニケーションがこたえられずいい。



   出発を待つ間にも人がだんだん乗り込んできて、少々

 詰めて乗る感じになったころ、あちらのホームに、始発

 ではないが別のバスが来て、

  「あっちのほうが早く出発するよ」と誰かとなく教え

 てくれる。

  「メルジェリーナへ?」

  「シイ」



   それっと私たちも乗り換えたらすぐ発車した。



   かなりあった。二十分も街の中を下って、果物屋や魚

 やのある通りで降りた。



   その停車場は、すぐ前方を左に回れば「マルジェリー

 ナ港」の筈だった。



   曲がって通りを渡るとそこはもう港だった。埠頭の右

 にも左にも観光船が泊まっている。



   私の胸が躍った。しかし、よくみると違う、かつてナ

 ポリ湾を見回したあの場所がなかった。たぶんメルジェ

 リーナの船着場は、最初私が「連続写真」を試みたあの

 場所ではなかったのだろう。私たちは、もちろん船には

 乗らない。単にここを観光しているだけである。けれど

 もいかにもどれかの船に乗るような顔をして、埠頭を奥

 へと進んだ。塩釜で松島へ向かう船に乗った時と同じよ

 うな思いで、ずんずん進むと、この足取りでは行き先が

 既に決まっていると思うのか、客呼びの誘い言葉もやや

 弱い。



  「カプリ島は、どうだね」とか

  「コルシカ島行もまだ席があるよ」などと言っている

 に違いない。



   船の間から海の風景を撮影しながら進むと、一番大き

 な観光船の発着所で行き止まりになった。改札の麓が待

 合室と喫茶を兼ねている。何も飲まずに中に入り、その

 手すりから海や観光船を撮影して、またさりげなく外へ

 出た。



   今度は観光船から降りてきた観光客のふりをして、通

 りすぎようとする。



  「ホテルは」とか

  「ナポリ市内まで、安いよ」とか男達が次々に声を掛

 ける。



   通りに戻って、今、船が全然停泊していない、カラッ

 ポの埠頭を歩こうとした。オフリミットの表示はどこに

 もないが、なんとなく「勝手にヨソの領域に侵入した」 ☆
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☆感じがする。海を覗くと、ムール貝の小さいのや自分が

 泳ぐよりも波に揺られるほうが動きの大きい小魚が、斜

 めに入射する黄色い日差しの中に見えた。



   撮ろうかな、と思っていると、男が来た。



 (何の用だ。……用もないのに勝手に入るな)と言いに

 来たのだろう、と思った。しかし、男は何も言わなかっ

 た。言わなかったが彼にもこれと言った用事があるわけ

 でもなく、私たちの周りを、変に警戒しながらウロつい

 て、私達が立ち去るのを待っているようだった。



   赤胴色の海の男だった。



   午前のまぶしい光の中では、ナポリ湾の情緒を撮影す

 べくもない。再び通りを渡って、さきほどのバス停へ引

 き上げようと、近道らしい通りを通った。そこは、いわ

 ば朝市のようになっていて、とくに衣類が豊富にぶら下

 がった「屋台」が十台ほど連なっていた。



   例によって啓子は買いもしないのに、あれこれ引っぱ

 って、値段を尋ね、サイズを合わせ、わが身に引き付け

 てみたりした。



 (ほんとうのところは、そういう時、私は身の処し方に

 困るのだ)



   ひとしきりそれが済んで、来たとき降りたバス停まで

 きた。しかし帰りはここでは乗れない。少なくとも通り

 の反対側へ渡らねばならぬだろうが、そこにポリスが三

 人いた。



 「エクスキューズ、ミー。キャンナイ、テイク、ザ、バ

 ス、トゥ、ナポリ、チェントラーレ?」ハンサムにして

 色白のポリス、

  「ユウ、キャン、ゲット、トラムカー、ヒヤー」

  「えっ、私、電車の切符はもっていない」

  「いいの、ここは電車もバスも同じ切符だ」

  「あっそう。ありがとう」向こう側まで横断しなくて

 いいのだ。

   っじゃあ、とそこの魚屋、八百屋を覗く。魚の豊富な

 こと、またよく知った魚の懐かしいこと。小魚も貝もお

 いしそうなのがたっぷり氷に浸って、「これとこれっ」

 てすぐ手が出そうな中に、サヨリがあった。日本のカマ

 スよりもはるかに大きい。長さ四十センチもあるのが、

 イキイキの新鮮で、みんな体を円形に丸めて自分のシッ

 ポを自分のくちばしで刺している。刺身でも酢でもうま

 かろうなあ、としばし見とれた。



   八百屋と言うより果物屋は、田舎の素朴な雰囲気その

 ままだった。よその小母さんが買っているから割り込ん

 ではいかんと、

  「ムッシュウ」と声をかけたものの、急ぐつもりはな

 い。ネクタリンと赤梅が安い。



  「これにしよに」と決めてから、渉外係りの私が、   ☆
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☆「ムッシュウ」となぜかフランス語で呼ぶ。小母さん

 を放ったらかして、八百屋の旦那が来た。

  「あっち、いいの?」

  「いい」

  「じゃあ、これ一キロ…そしてっと、これも一キロ」



   変な汚れたのを入れたら、代えてっと言うつもりだっ

 たが、何といいのばかりをよってつめる。秤に掛けても

 約一割は優にオーバーする。



   いい買い物をした。そして電車、路面電車に乗ってナ

 ポリの中央駅へと向かった。



   その道中は存外長かった。一度は殆ど前進できなかっ

 た。乗客のおっさんが、

  「電気の故障だ」と言う。正式の発表はどこからもな

 いのにどうして分かるのだろう。どうもナポリ人達は噂

 に左右されやすそうだ。



   シビレを切らして降りて行ってしまうものもいる。し

 ばらくしてほんの少しずつ動き、やっと原因が私の目で

 確認できた。



   そこは路面電車が三叉路になっていた。信号もない。

 どうやってそれぞれの方向へ行くかというと、そこにポ

 リスが立っていた。電車の行き先に合うように三叉路を

 さばく。それは有難いことなんだが、ナポリ人はそんな

 にポリスの指示にスナオに従うような連中ではない。と

 くに車に乗ってるわがまま人間なんかは、ポリスが片方

 をさえぎりもう片方を通そうとしていても、ほんの数メ

 ートル隙ができれば、今の流れとは関係なしに割り込ん

 で、そこに止まり、次はオレの番だと主張する。



   車はまだいい。そんな勝手なことして、割り込みをし

 た挙句に「権利主張」してればいい。



   だが電車は線路があるから「勝手」ができなくて、見

 通しなく待ちぼうけを食わせられ、窓から数十の勝手者 ☆
八月三日のつづき
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