背景は、手作り本の装丁(縮小) 



















                                                                                             

  

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 ☆ い  く  枚  か  の    風  景  画  

                          

      は  じ  め  に  



   今回、私が思い立ち実行に移したのは、計画ももちろ

 ん自分で立て、ひとつひとつその場面に体当りしながら

 作って行く「自分の旅」であった。



   二年前、フランスにルネさんというお友達ができ、彼

 の「夏の家」を訪問する日程を含んだ計画を組みながら

 計画に関係するいろんなことを学んだ。



   たとえば、今までカタコトのフランス語を趣味的に弄

 んでいたにすぎない私が、いざ実地に乗り込んでゆくと

 なると、ほんとうにそれがコミュニケーションの役目を

 果たすのかどうか大いに心配であったし、独学にして独

 善、しかも机上の「知識は実践に試される」ことになっ

 たのである。



   事前の大きな不安、最中の絶えざる不安、要は不安を

 持ち続けるからこそ何とかしようと努力し考える。あら

 ゆる我が知識と体力とを動員して事に体当りする。



   五十五歳の「青春」が、これを機に燃えていた。



   さて、冒険旅行の第一段階は、航空券の購入から始ま

 った。                                            



   十日間程度のヨーロッパ旅行で、四、五十万を要する

 ものがある。そしてこれが当然の値段とされ、旅行者は

 素直に容認している。



   ところが、これよりぐっと安く、ほとんど半額ぐらい

 のもある。航空会社の違いである。



   この安い航空会社グループの中で「安全」であるよう

 な会社を探すことにした。



   シンガポール航空は、このグループの上位にあった。

 タイ、パキスタン、中華など、私の偏見もあろうが、こ

 れらの会社の安全性と引き換えに我が身を任せることは

 できなかった。(そういう面では、私の「冒険」は心底

 から冒険ではなかった)



   で、シンガポール航空は、一流会社が五十万を超える

 値段を示しているのに、名古屋、パリ間の往復は二十二

 万円だった。定期便を使用して料金はその半額以下だか

 ら、不満などあるはずはない。申し込むことに決めた。



   するとただちに次の冒険が始まった。



   東京の代理店は「シンガポール、パリは、往復ともに

 取れました。帰りのシンガポール、名古屋も取れていま

 す」と電話で言った。



   「往きのシンガポールまでは、どうするの?」と催促 ☆

 すると、
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☆ 「空席待ちにしてあります」と澄ました声で答えた。  



   その後、なんど電話しても「空席待ちですね。まだ取 

  れていません。こちらからは名古屋へプッシュしていま

  す」という返事の繰り返しだった。



   「取れる見通しがあるのか、ないのか」と問い詰める

  と、「一と月前がいちおうの区切りで、その時にうまく

  プッシュします」という。



    ただし、成田から出発するのならいつでも取れるのだ

  が、とも言った。



    プッシュとは変な言葉で、いかにも「努力」している

  ように聞こえるが、疑いの心でこれを吟味すると、単に

  プッシュホンを「プッシュ」するだけに聞こえる。だか

  ら東京の代理店をプッシュする私の指先も声も、次第に

  荒くなっていった。



    一か月前になった。が、空席は出なかった。



    代理店はまだ待つという。



    「もしも、最後まで取れなかったら、どうするの?」

    私は半ば抗議めいて質問する。



    しかし、その返事には確かな手応えがない。



    一週間前になっても事態に変化はなく同じ状態であっ

  たので、とうとう業を煮やし、客である私がまるで旅行

  業者の側から物を言うように、こう宣言した。



    「この辺ではっきりさせようじゃない?  あと一週間

  しかないのに、明日か明後日に切符が取れたってどうや

  ってそれを届けてくれるの?  仮にもし速達か何かでう

  まく受け取れたとして、出発予定の空港が名古屋か成田

  か、今から三日後に分かっても、そんなに急に予定を変

  更できるほど、私は身軽ではない。だから、明日、明日 

  だよ、取れることになったら名古屋空港で切符を受け取 

  る。で、取れなかったら、東京から発つ。切符は成田で

  受け取る。いいかね」



    翌日、業者は、名古屋が取れなかったことと、入金し

  てほしいということとを知らせてきた。



    諾してやると、速達が来た。



    値段が二十四万(当初の話では、名古屋=パリ往復の

  値段は二十二万、東京=パリの値段が二十四万)で、不

  満だったが、あげつらう時間がなかった。たから、黙っ

  て入金してやった。



    切符は、出発当日の搭乗時間二時間前に、成田空港の

  まったく広いコンコースで、消え入りそうな心情になり

  ながら、それらしき場所を何度も尋ねたあと、これと言

  った目印もない場所に無口に立つ若い女子事務員から、

  受け取った。



    私の心情の荒波をよそに、無表情に差し出し、尋ねた ☆

  こと以外はしゃべらなかった。
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☆  この子に会い損なっていたらすべてがフイになったか

  もしれないと思うと、心細い限りだった。             ☆
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