背景は、キングズパークから見下ろすパース市街
☆ーけー☆ リタイアメント・ビザ
☆ 四時半頃のお役所は人も少なかった。何かの催しホールにも
思える場所に入ろうとすると、入り口左側の男が「どういうご
用ですか」とかれらを止めた。
ここで注釈を入れたい。
こういう外国での言葉のやりとりを表現するには、(ア)その時
のママの言語で表記する、(イ)すべて日本語にする、(ウ)ママと
翻訳とがそれぞれ分かるようにする、などが考えられるが、実
のところまったく難しいのだ。で、この文章では、以下二項目
のようにしてあると理解されたい。つまり 相手が日本人であ
る以外はすべて英語で話されたし、 コモジカタカナ、Alphabet表記
以外はすべて翻訳してある、と。
「What can I do for you?」男はたしかそんな言葉をかけたよ
うだった。
「スキュースミー、アムーーウィブカムヒアーザデイビフォーイエスタデイーー(私たち、おと
といこの国に来たんだけど、うまく表現できるかどうか自信は
ないが、この街がとってもいいところなので、こんな所に住め
たらいいと思うんです。で、リタイアメント・ビザはどうやって取得で
きるのか教えて欲しいのです。)」
かれは、いつもだが、内面になにか切迫するものがあると、
心身とも真剣な努力が無意識になされるらしく、かれ自身の予
想を越えた能力が発揮できるのだった。
「分かりました。あちらのNo.4で待ってください。」と男性職
員が応えた。
窓口それぞれを吏員が担当する。待つ人は四五人だった。
No.3では、ちょうど人が呼ばれたところだった。二十歳前後
の東洋系の女性が、パスポートやビザを示し、書くべき書類に
ついて説明を聞いたり、質問に応えていた。そのやりとりには、
かれの場合にのように「ん?」とか「パドン?」などの言葉はな
い。<順番が来たらうまくやれるかな>とかれは不安にもなっ
ていた。
すぐ後ろに座る婦人と目があった。
婦人はかれに「フロムジャパン?」と小声で聞いた。
「イエス.ーーユウー?」
「ホンコン.」。<どんな用で?>と聞こうかと意識が動くその時、
窓口に女性が現れて、手招きした。
「ーーーで、リタイアメント・ビザが私にも取れますか?」
「年収は、どれくらい?」
「待って、しばらく。ーー紙、ください。」と計算にとりかか
る。
かれが年金額を筆算する時、ドル換算の前に職員は、のぞき
込んで
「イエン?」と数字を指さし、「OK.ライト.」と言うのだった。
その場で貰った書類には、後でゆっくり読むと、次のような
条件が示されていた。(A)五十五歳以上、(B)本人、妻に扶養家
族がない(内縁のパートナーにも)、(C)本人、妻に以下の一つ
に該当する送金可能な資産があること、
[ア])40、000、000\、[イ]12、000、000\と年金や他の年収の年額
2、800、000\、(D)この国で働こうとしないこと、(E)健康で人
格円満なこと。
「働かないってあるけど、しかし、やがて友人が出来て日本語
を教えてほしいと頼まれるとか、庭で野菜を作るとか、ーーむ
つかしいけどーー」かれはこれだけがこだわりで、言ってみた。
「この国の人の、雇用を奪わないって意味です。」
「じゃあ、働いてもいいが、お金を貰わない。それなら認めら
れるのですね。」「はい、そうです。」
「分かりました。じゃあ、いただいた書類をよく読んでからー
ー。」
「えっと、ちょっと待ってください。」
女性は、話しを中途で止めて奥に入った。長い数分で、何の
ための待ち時間なのかと思うほど待ってから、
「ミスター(???)が部屋で話しを聞いて説明しますから、どうぞ。」
と奥に案内した。
不覚にも時計を見なかったが、その時、実はオフィスタイム
終了の五時だったのだ。
ピーター・ボグダニッチさんの執務室には、小さなテーブルセット
もあって、かれと妻は脇に荷物を置いて座った。
名刺には「Migration,Visitors & Citizenship」の担当者と
記されてあった。
「収入を得なければ、純粋に働くことは許されるのですね。」
とかれ。
「いや、だめなのです。働くこと、それ自体が許されません」
「なぜ?」
「たとえお金を受け取らなくても、働く機会をこの国の人から
奪います。働くこと、それがいけないのです。」
「せっかくいい国に移住しても、景色ばかりを一週間も眺めて
いれば飽きるでしょうし、ーーー」
「ハハハ、そりゃあ、三日で飽きますよ、空ばっかり見ていた
ら。で、ボランティアならいいのです。」
「どんなボランティアでも?」
「いえ、この国には組織化された団体があります。それに所属
してなされる仕事なら、許されます。」
「たとえば、なにかご紹介くださいますか?」
「自分で物が食べられない人とか、不自由な方の援助をする団
体もあります。ーーまあ、私が紹介するのもふさわしくありま
せんから、この街の日本領事館に出向いて紹介を受けてくださ
い。」
こう書いてしまえば会話は簡単に済んだように思えるが、実
のところおよそ四十分ほどを掛けて話している。 雑談もあっ
た。
「英語、じょうずに話しますね。」
「いや、だめです。ただ、アメリカの人と違ってあなたの英語
は聞き取りやすく感じます。若い頃に習ったのがイギリス英語
だったからでしょうか。」
「アメリカの人はね、ちょうど口にこうしてプラムを含んだま
まで話してるみたい。フヤン、チュヤンと発音しますからねえ。
ハハハ。」と、母音にある屈折性をお笑いのように表現してみ
せた。
「長い時間、ありがとうございました。また、お助け願うこと
があったらやってきますからよろしく。」
かれと妻とは、部屋を出るにもドアを出るにも何度もお礼の
お辞儀と言葉とを重ねた。
通りを戻る時、行く手にビルの上半部が幾つも見える。二人
は、それらの形からそれぞれがどの辺りに位置するかをあげつ
らった。そして、たぶんどこからでも見える一つを目印に、未
知の町中を歩いて帰ることにした。
かれの背の食料品は、ずっしりと重いのだったが、お役人の
友好的な応対が、かれの身体に幸いしてか、足どりが軽く感じ
られていた。
☆ |
☆ーこー☆ フリマントルで
☆ 土曜日であった。
週末にはフリマントルにマーケットがある、とガイドブックに
ある。出る時、三つのことを考えてかれは駅に向かった。一つ
は、この港町はアメリカンズ・カップの母港として世に知られ
る。そういうヨット・ハーバーの風景を眺めながらシーフード
を楽しむこと、二つは、この国、この地方に英国が上陸してく
る歴史の中で玄関の役割を果たした様子をうかがい知ること、
三つは、マーケットの賑わいと買い物とを楽しむことだった。
駅前に郵便局があって、かれは子どもや会話教室の講師など
へ手紙を出した。日本へは75セントで封書が届く。約60\に相当す
るが、かれは安いことを単純に驚いたり喜んだりは、もうしな
かった。人間社会の、いわば虚構が、やがて破綻を来すその糸
口にさえ見えていた。
電車の終点がフリマントルである。海が近づき、スワン川を
鉄橋でまたぐ時、並行して自動車道路が架橋されてあった。そ
の脚が、木造であるのを発見する。橋の大きさや道路の現代性
に対し異質に思えたが、気にすることはない。
ラウンド・ハウスに入る。ここは最初の「民事刑務所」と掲
示板に書かれてあったが、かれは信用しない。往時を忍ぶに、
収監ぶりが過酷に過ぎるからだった。独房と呼ぶが、二人組の
房が十六室、二三十坪の中庭の中心部に井戸、それを囲んでし
つらえてある。石と石膏づくりの各室は、床面積に畳三枚は敷
けない。脚かせの鉄鎖をとめる金具が、今も非情に床に植え込
まれている。囚人二人が互いに連結されて行動したという。一
室には、ネズミのか人のか、小便の匂いがごときものを感じる。
<新天地開拓用、労働力の担い手>かれは本国から連れ出され
た人身御供を確信してイメージした。
外へ出た。町側へではなく、海側へ出たのだった。
高さ一メートル余の塀が囲っている。ここで看守が見張りを
したと言う。
塀の外には、少しの浜があるばかりで、青いインド洋が水平
線まで寂しく広く続いていた。見張りの看守も、監獄内へ厳し
い注意を払う一方で故国の家族を恋い焦がれたにちがいなかっ
た。
かれは別の日に観光バスの中でこう聞いた。それは英語でな
されたガイドだったから、かれには細部が理解できた訳でなか
ったが、およそこうだった。
<西部開拓には英国本土から幾人もの囚人が来た。彼らには、
ここのこれだけの仕事が完成したら釈放する、という条件がつ
けられる場合が多かった>
他国のことだけを言うまい。北海道にも同質の歴史があるの
だ。
港へ出た。やや早いが昼飯にするかと、ある店に入り「FISH
& CHIPS」を注文した。ちょうど前のお客でFISHのフライがな
くなり、次のが揚がるまで待たねばならない。大きな油の湯の
中で厚揚げ様のフライが泡を勢いよく吹き出して泳ぐ。
「あー、フライのフィッシュは、なんていう魚なの?」
かれは店のおばさんに話しかけた。
「□○△(si?fff?nn?mmm??)」
かれにはよく聞き取れなかった。いや、理解できない、知ら
ない言葉だった。
「ん?」
「□○△(si?fff?nn?mmm??)」おばさんは耳慣れない単語を
繰り返す。
「すまないけど、ちょと、あっちのガラスケースの、どれ?」
かれが頼むと、おばさんは揚げ物の場所を離れ、魚が十種ほど
並ぶケースの向こう側まで動いた。
「これよ。」
「ああ、鯛だ。わあーい。ーーあ、ありがとう。」
ガラスの中には、それぞれの容器に、鰯、鳥賊、鮃、甘鯛、
鱈、鮭などが収まっている。右から三つ目の容器が鯛だった。
切り身にして衣をまぶしてフライにするから中身は分からない
のだった。
「ここで? テイクアウト?」
「テイクアウト、プリーズ。」
包装紙にポテトフライを盛り、上に「厚揚げ様タイ」二切れ、
食卓塩を数回振ってくるむ。
<二人分だろう>と見ていると、もう一つ同じものを作った。
「ナイン、エイティ.」つまり800\弱である。
向かいの隅に飲物を売っている。ケース内に缶ビールを見い
だし、二つ買うと、3.60$(300\弱)だった。
外の鴎や帆柱、海や空の見えるところで卓上に包装紙を広げ、
缶を開ける。
おいしい。だが、食べ進むうちに感想が変化してゆく。
<せっかく鯛を食べながら、これじゃタラでもヒラメでも同じ
フライの味だ>
腹が満ちてきてもまだ紙の上にはふんだんに残る。ビールが
終わったら、飽きてしまった。
「持って帰るか?」と、一つの包みにまとめ、鯛フライだけは
ビニール袋で保護する。
<なんか味が足りんなあ>
<ケチャップなんか、あの場所にはあったのかなあ>、<だい
たい量が多すぎる>から<塩焼きやったら飽きないのに>など
と、初めは喜びであったものが、不平不満に転じてしまった。
海を背に町中に向かう。公園を越えると折しも観光バスが二
台憩う「Maritime Museum」前に出た。
入場料は、とみると、資料保存のための寄贈箱、があった。
かれはわずかの心理的なためらいの後、ほんの小銭を入れて、
すぐ左の売店のおばさんに聞いた。
「ビデオで写してもいいですか。」
「かまいませんよ。」と愛想よく応え、案内の印刷物を添えた。
航海の歴史や沈没船からの引き上げ物が陳列されている。引
き上げ船の右舷の舳(ヘサキ)二十メートル余りが復元されてあった。
かれはこの「建造物」の巨大感に威圧されながら見つめつづけ
た。かつてかれが見た酒屋の倉、味噌屋の倉の柱や厚板が縦に
横に、互いに三重に重ね、繋ぎ、張り合わせ、木釘、木鎹(カスガ
イ)、詰め木、アスファルトなど、一々が船大工の渾身の作に思
えるのだった。
内側は、高い船端への上下を容易にすべく、垂木(タルキ)が段
差大きく着けられてあった。かつてこの復元船がまだインド洋
にあったころが脳裏に現存しはじめる。船乗りのコミュニケー
ションは言葉ではない。叫びだ。舳の上下動は、そこいらの何
たらランドの遊具の比ではない。大きく力強く十数メートルも
休みなく上下し、大波を山と仰ぎ、波間に海底の地獄を思いつ
つ、来る日もまた来る日も帆柱に、船端に手足で取り付きなが
らの作業を重ねる。「オカだあ!」とマストから叫び声があっ
ても、期待感が彼らを解放するもののまだ二日は重労働が残る
のだ。
いや、この船は期待感だけを最後にしたのだった。
「1626年、オランダのバタビア号が難破した」のを引き揚げ復
元したとあった。「西オーストラリアの危険な(反逆的)海岸
線に沿って多くの大型船が難破するに至ったドラマの数々がこ
こに含まれる」とも続いていた。
外には初夏の太陽が強烈に差していた。夢から醒めたように
再び歩く。
「この辺りからコーヒーのおいしい店が多いのやて。ーーあれ
やろか、これ、『カプチーノ通り』の『ギノス』って書いてあ
る。」ガイドブックに、だ。
「入ろか。」
中はロンドンやパリでよく見かける喫茶、カフェだった。よ
く人が入っている。ピザを食べ、あるいはサンドイッチにかぶ
り付き、またワインだけで喋る男達を見回した後、
「ここ、いい?」と店員に話してから、四人用のテーブルを占
めた。かれと妻は荷物を椅子に置くためにそうするのを好む。
「カプチーノ、二つ。あ、それからーー」と立って、ケーキの
ケースに顔を寄せて「ジスワン、アン、ジスワン.」と注文する。
席に戻って待つうち、水が出るでもなくお手拭きもない。ハ
ンケチで眼鏡のほこりを拭う時、カウンターの向こうで声がす
る。若者がコーヒーにクリームを載せて何かしていた。
また声を出した時、かれに向かって声を飛ばしているのを知
った。
「コニチワ!」
「あ、こんにちわ。」
「トキョウ ?」
「ノ。」
「オオサーカ ?」
「ノ。フロム、ナゴヤ。」言葉が止まる。
「Between Tokyo and Osaka.」
他に大勢の客がいる。でも若者は日本からの客に大きな関心
を寄せている。かれは、こういう時いつも敗戦後の欧米崇拝の
時期を思い起こす。<あの時のように自分達も輝いて見えてい
るのだろうか>
飲み終えて出る時も「サヨナーラ」と手を振った。
マーケットは、畳一枚ほどで地面に陳列するものから、一郭
を仕切るもの、正しく店舗を構えるものまでさまざまだが、い
ずれも屋内にある。入ってすぐに靴屋があった。室内履きによ
さそうに思えて尋ねると、中でも外でもどちらでも、と応えた
女性は色黒、炒り小麦色の肌で、手は労働の後を見せて逞しい。
「ユーメイド、オールシューズ、ウィズユアハンズ?」
「イエス、アイディド.」彼女は、糸を改めて持ち、半製品を示して縫
う仕草をする。
<日本でもかつては下駄屋さんだって、もちろん靴屋さんだっ
て店に手作りの仕事場があった>
かれは買わないのに、懐かしいものを見た思いで、しばらく
そこにいた。
宝石商は一坪ばかりの店の、表でも裏でも客を相手する。こ
の国はオパールを産するから、かれの妻は出物があればと、店
を覗いた。そして尋ねたいことができればかれが英語で事を弁
ずる。
「これ、うらに張り合わせてある?」
「金は、何パーセント?」
尋ねることがなければ、かれは手持ち無沙汰で辺りを見てい
る。
妻は手に取って時間を掛けてみる。店の奥さんがつき合う。
その間、店の旦那と会話する。
「あなたもどうです?」
「いや、私は畑の土をいじっているだけだから、飾りものは要
らない。亭主は安上がりさ。だが、ヨメさんは、綺麗にしたい
し、エクスペンシブだね。」
「そうですね。同じですよ、うちも。」
ほんとともウソともつかず、男がこぼす。アラビアンナイト
に漁師と妻の話しがあるが、男は働いても十分ということはな
く、女は男の稼ぎに甘んじることなく、もっともっと欲しがる。
洋の東「中」西を問わず、また今昔をも問わず分かり合う男の
話しだった。
マーケットとは、帰するところ、見ては話しては楽しむとこ
ろらしい。多くの珍しいものを手に取って店びとと会話したが、
結局は奥に陣取る八百屋エリヤでマッシルーム、玉葱、メロンを
買い込んで担いで帰ることになった。
出口に魚屋があった。珍しいから入ると、豊富な種類の魚が
ケースに並ぶ。鰯は頭とワタを取ったものが1kで3.99$(320\)で、
一つ置いて甘鯛がピンクも鮮やかに並ぶのが、値段は鰯と全く
同じだった。
☆ |
☆ーさー☆ ノーティーな隣人
☆ パースに戻り、肉や野菜を買い添えたから、荷を背に担ぐ姿
勢で帰り着いた。
シェリー酒に氷を浮かべ、サラダと肉の夕食を気分よく終え
たくつろぎの時、突然、便器に近接する浴室の壁が、音を立て
て割れた。
隣室には若者が三人いて、部屋をしばしば出入りするが、激
しい戸の開けたてや通路を走る音に、いやな予感を覚えてはい
た。
破壊音は、トトトッと通路を走った時に生じたものだった。
「なんだ!」と、かれは入り口の方へ向かう時、便器付近にガ
ラス質の壁板が、大小の破片になって散らばっているのを知っ
た。
心に緊張が走った。日本人と知ってわざとしたいやがらせか、
節度のない若者が不用意にしでかした過ちか、それとも彼ら同
士の暴力的争いのとばっちりか、かれは訝しい思いと怒りとで、
目尻と顔色との変化を意識しながら、しばらくは隣室の動きを
待った。
ない。動きも音もない。
かれは「男」である。黙して座すことはできない。脱いでい
た上着を着なおし、靴を履いて、隣室の扉に立った。扉は開け
たままになっていた。
「ワットハップンド?」
大きめの声を中に入れた。中には一人、男が背を見せて立つ
が、振り返らない。
「フーディッドイット?」もう一度、言った。
影は、振り返らないだけではない。動かないのだ。
かれは不気味にさえ思えた。だから室内にまでは踏み込まな
い。
部屋に戻って、
「おかしな奴やぜ。気味が悪い。黙って向こう向いて立っとる
だけや。」と妻に言った。
「こんなに壊して、まあ、癪にさわる、あの野郎。どうしょう、
おい、下へ行って、部屋を変わるちゅうて来る。ーーそれとも、
出る、ちゅおか。」
そのときノックがあった。
若者かと身構えて、おもむろにドアを引くと、七十歳くらい
の男が立っていた。言葉が、かれには必ずしも理解しきれはし
なかったが、およそこう言った。
「(ばかなことをする若者だ。騒いでばかりで迷惑なやつだ。
私も、若い頃はラグビーで鍛えてあるんだ。ーーで、大丈夫だっ
た)?」
隣室の方向へポパイのような仕草で握り拳を挙げて、悪を許
さぬ心情を吐露したりした。
「ありがとう。下(フロント)へ行って、善処してもらいますから」
男は、隣室でも、何か若者達にクレイムしていたふうだった。
土曜日の宵だった。フロントは、いつもの人はいない。おば
さんが一人いて、かれの訴えの後でこう言った。
「部屋は四階にあります。変わっていただいて結構です。鍵、
どうぞ。」
「この鍵もしばらく持ってますよ、いいですね。ーー隣の若者
ねえ、私たちに何も言わないのですよ。」
かれは、フロントにさっきから一人の男が立っていて、向こ
うを向いたままで黙っているのに、そのとき気づいた。
加害者どもは、フロントへは行っていたのだ。だが、被害者
に顔を見せ言葉を向ける勇気を持たないのだった。
「出て行きますから。」おばさんは、確かそう言った。
部屋で、怒り半分に荷物をまとめる。最後に台所のものをま
とめる時、きちんと締めてなかった瓶のオリーブオイルの蓋だ
けが手元に残って、本体は台所の床にガシャンと割れた。
<しまった。コノヤロウ。泣き面に蜂だ、もうっ>と感情がま
た高ぶる。ガラスを拾ってビニール袋に始末するが、油がいや
なのだ。トイレットペーパーを多量にほどいて滲み込ませて、
やっと収まった時、ガラス片の先端がビニールを突いたのだろ
うか、袋の下にまた油が漏れ、盛り上がる。
この部屋のこの現場に居たくなかった。キャスターにトラン
クを載せ、
「まず一回め、運んで来るわ。」と作業を続ける妻を残し、か
れは四階へ行った。
三回運んで、引っ越しが完了した。そして部屋を点検する。
「こっちの方がええやないか、特にベッドとか。」
「台所、包丁がパン切りしかない。爼はこっちのほうがええけ
ど。」
「そうか。今までのと換えてきたる。」
浴室を点検する時、バスのカーテンが棒ごと外れた。
「なんや、安普請。クソッ。もう外しとく。初めから壊れとっ
たと、今夜、言うとく。」
坊主憎けりゃ袈裟までもとは、けだし名句だ。瑕疵一つあれ
ばこの宿すべてが嫌いになる。
「やっと収まったわ。」と台所で妻が言うのを聞いて、
「じゃ、もとの鍵、返しとく。」とフロントへ下った。
「バスのカーテン、取れていた。手洗いの横に置くからね。」
とおばさんに了解させ、後難がないように備えた。
十時、心に平静さが戻って、湯をたっぷりとたたえて、縁を
枕に脚先まで湯に浸かる。かれは洗うことよりもこうして緩や
かな時間を持つのが好きだった。
「ねえ。」妻が部屋から声を送ってきた。
「うん?」
「財布がないのやわ。」
「え?」
二人は、またがさごそと荷を改める。リュックには、トラン
クにはと、あるはずのない場所まで、いちいち調べて、ないこ
とを確認した。
「部屋に置いてきたんやろか。」
「いや、見たぜ、全部。」
「もういっぺん、見てきて?」
「ないと信じるけど、見てこうか。」かれは、フロントに行っ
て鍵を、もういちど借りようとした。
フロントは、閉まっていた。
気づかなかったが、八時で閉まると書いてあった。
「明日、朝八時に開ける。しょうがない。明日見てくる。」
かれは少しもすっきりしなかった。妻が金はほとんど入って
いないはずだと言っても、<壁が壊れた部屋を保証することは
できない>とか<部屋換え中に落としたのかも知れない>など
と非生産的思索ばかりが、眠りに陥るまで続いた。
翌八時、フロントには初めてみる男が執務についた。
「ハロー。昨日(これこれで)部屋を変わったんだが、元の鍵、数
分間、借りたい。」
「いいですよ。何番?」男は訳を知らないらしい。日曜だけの
パートだろうか。
部屋のベッドカバーをひっくり返す時、財布が落ちた。
<あった>
事件の翌々日が月曜日で、いつものフロント番が執務した。
かれと妻は、朝、出がけに立ち寄った。
「ハロー.モーニング.ーー土曜日のイーブニング、ーーー(略)ーーー。」
かれは事件を語りながら一つウソを加えた。それは<ーーちょ
うど台所に居て、衝撃でオイルの瓶が割れた。袋に始末してお
いたがーー>だった。
「はい、ソリー.彼らはノーティーです。分かりますか、ノーティーって。」
「礼儀も作法も身についていないーー」
「そうです。酒を飲んだのです。出ていって貰いました。」
「私はこの国の人ではないから言いたくないけれど、彼ら、
一言もアポロジャイズしなかった。私の問いに返事さえしなかっ
た。」
申し訳ありません、日本ならさしずめこう言うのだろうか。
だがフロントは言わない。考えれば当たり前だ。腕白野郎の罪
を、同国人であるからといって背負わねばならぬ理由はない。
「で、壁が直ったら、またあの部屋に戻りますか。それとも
今のままでいいですか?」
二人は相談した。五階の方が眺めがいい。
「壁がなおって、and 部屋にストーフが入ったら、戻ります。」
「分かりました。」
ストーフとはここで覚えた言葉で、辞書を探すとstoveとある。
調理用のもこう呼ぶのだった。
翌日の夕刻に元の部屋に戻ることになった。
壁は、「ガラスが特別なものなので遠くから取り寄せるから、
日数がかかる」と言い訳されて、見ると、段ボールを当てた上
に幾度も粘着テープで固定してあった。隣室には夫婦者が入っ
たらしい。
台所には、上面に二面の電熱器、本体内はオーブンになった
調理具が持ち込まれてあった。
これでご飯も炊けるし、味噌汁も出来る。炒めることしかし
ない人たちに見せてやりたいほどの得意顔になれた。
☆ |
☆ーしー☆ 文化は対等
☆ 早くも十一月五日になっている。日曜日だった。
ジョージテラスを進んで、日本総領事館を確認してから郵便局に向
かった。孫に絵葉書を出そうとしたのだ。
<ダメだろう、今日は>と前を通ると、午後は開くと分かった。
表には動物数種の写真、本文には、かれはクイズを作って記し
た。いちばん背が高いのはどれですか?などと三問を記すと、
孫が大声で「ハーイッ」と叫ぶ姿が、早くも明瞭にイメージさ
れた。
バスセンターへ来た。この街にはセンター部分を無料で運行
するのがある。かれはそれを「ただバス」と呼ぶ。どれがただ
バスかそうでないか、見分け方を知りたかったからだ。
プラットホーム三本の大きなバスセンターだった。案内所に
は、日曜日のためか係員がいなかった。<どれかのバスのドラ
イバーに聞くか>と首を回す時、
「今何時何分でしょうか。」と、時を知りたがる若者が近寄っ
てきた。
かれの遠い記憶が蘇る。若い頃、こういう風景がかれの回り
にもあった。時を聞いたこともあったし聞かれたこともあった。
だが、もうそれは何十年昔の風景だったのだろうか。
「○時○分だね。」
「ありがとう。」
「あ、ちょっと、済まないけど、ーー」ギブアンドテイク、
「ーーフリーのバスはどれ?」
「バスの前面に、色が六筋、描いてあります。あ、上にClipper
って書いてある。」
「ありがとう。わかった。」
これもこの街で知った言葉である。情報物にはGreen City
Clipper,Yellow City Clipper などと、路線によって色の異な
る五種のClipperが運行されている。
羊の国だから、バリカンが毛を刈るように乗客を「つみ取っ
て」ゆく意味なのか。ともあれその時以降、かれと妻は市中で
はこのバスを恐れずに利用した。
バスセンターから駅を越えて左折すぐが赤い門の集合食堂だ。
二人はそれぞれ皿に盛り上げた一品料理をテーブルに持ち戻り、
一コーナーから、かれが両手にビール二カップをしずしずと運
んできた。
酒屋は、カウンターに大きな握りハンドルの立つのがいい。
イギリスでもそうだが、酒のワンカップ一本半は入りそうな大
コップに、地ビールをなみなみと入れ、泡をスプーンですくい
だしてまた満たす。そのなみなみを「パイント」と呼ぶ。
「ビアー、トウパイント.」そうオーダーすると、ボーイは、
「ウイッチワン?」と問い返す。
<どれでもいいんだ、分からないから>と思いながら、
「ディスワン」と指す。
ボーイは三本立つ握りの真ん中のに手を掛ける。それからな
みなみが用意される間の期待感、充足感、かれはこれらすべて
の成り行きが大好きだ。
「安いなあ、4$やぜ。」320\だ。安いということがさらに充足
感を増大させる。
食後は、歩調も緩慢に博物館に入った。例によってかれは受
付で「ビデオ撮ってもいい?」と確認した。日本とは違い、も
ちろん構わない。また入場料もない。
アボリジニの文化や歴史を、丁寧に見た。独自の文化を持つ
として、それは驚くに値しない。「二十世紀後半の文明人」た
ちは、遅蒔きながら「先住民族」の文化、とりわけ先史文化の
価値をいまさらのように評価し、喧伝しはじめたが、かれは博
物館の設置者が表現するほどにはそれを感じない。では無感動
なのかというと、そうではない。
当たり前のことを大げさに言う必要はない、と考えているだ
けだ。三国志の魏志に東夷伝として、三世紀の倭人を記すが、
礼儀作法もしきたりもきちんとある。それを日本人は当然のこ
とに思っている。人間社会に独自文化はつきもので、驚く必要
も、また過大評価も(もちろん過小評価も)必要はない。
ツングースもオロチョンも、間宮林蔵が出合った時、独自の
文化を持って生活していた。発見者のそれとは「異質」だから
興味が湧くのは当然だが、たぶん被発見者側にも、間宮さんら
に対する深い興味を寄せ観察したに違いない。
要するに対等なのだ。自他の質の違いに過ぎないのだ。
太平洋戦争のさなかの話しを引き合いに出そうか。
陣を張る日本兵の周囲の原住民は、日本人の眼からは「裸の
未開びと」に見えていた。なぜなら彼らはペニスケースだけ身
に帯びるに過ぎなかったからだ。彼らが、もし何かの原因でケ
ースを外したりしようものなら極端に恥じ入っていることの意
味を日本人は理解しきっていなかったのだろう。蒸し暑いから
日本兵は「ふんどし」姿になる。布片がダレて側面からはすべ
てがあらわなことがあった。そんな中で一兵士が原住民に殺さ
れた、と言う。
武士のチョンマゲや裃(カミシモ)に対する心情と、ペニスケース
に対するニューギニアの原住民のそれとは、対等なのである。
その階はすべてアボリジニー文化と歴史とを展示していた。
裸に近い服装文化と自然物に近い用具・用品を見た。その模様
のことを、現代人がデザインとか絵画とか称するが、そこには
自然世界と対応する「豊富な解釈の世界」があった。
星座にギリシャ神話が対応したり、生死や生前死後に前世・
来世が語られるのと同じだろう。いや、シェクスピアの「真夏
の夜の夢」みたいに妖精と人とが交流して事を成す「現世解釈」
がこれに近いかもしれない。
樹上に死体を上げて置く。「墓」だと解説されてあった。降
霊して生まれ、命を終えれば霊は肉を離れて昇天すると解釈し
ているのだ。
ブーメランを投げ、モーメントの大きい棒の道具で槍を、石
を投げた。筏と舟とは区別がつかないが、水上で仕事をする道
具を持っていた。また蛇や亀、虫の文様を入れたバスーンほど
の筒の笛を吹き、踊り唄い祈った。
「文明人」はこの地に来て、教会を、服を、「啓蒙」するため
に押しつけた。労働を強制した。写真には、不似合いなそろい
の服と脚鎖でつながり横一列にポーズする彼らの中央に「文明
人」が格好を作っていた。
こういう歴史に比べて、今、その反動かと思える「保護」が
ある。文化価値の過大評価と過保護。
この博物館にはもう一つ、見所がある。三十メートルを越え
る鯨の全骨格が展示されてあった。バスの三台分だと理解すれ
ばいい。象牙のように白く、しかし遥かに太く長い骨格の有機
的なつながりは、軽々しい人間の一存在なんか子犬か子雀のよ
うに圧し去ってしまう。
「Blue Whale」とあった。いや、「Bull Whale」とあったのか
も知れない。
地下道をくぐって棟を変わったら、開拓当時の生活用具に混
じって本土の由緒ある家柄のものらしい調度などが数多い。最
後は雰囲気が何か重々しい部屋だった。誰かが荘重な演説をす
る場所のようにも思える。
「おい、これって、裁判の法廷じゃないのか。」かれは、発見
したかのように妻に言う。
脇にトイレかと思えるドアがあって、引いて見ると、脚枷(ア
シカセ)を繋ぐ鉄の輪ッカが床に設置してあった。
「ここから曵きだされたんやろ、囚人が。」
「コートですか。」と係員に尋ねると、
「そうです。ほら正面は女王さまの肖像です。それを背に裁い
たのです。」
<些細な罪も裁かれたに違いない。『判決。重労働○○年。た
だし真面目な労働があれば評価され、恩赦の機会があろうこと
を念じるがいい。』などと、正当な裁きを装いながら開拓が推
進されたのだろう>
見学を終わって、窓から外を見ると、高層ビルが東の空に立
ち並んでいた。
「ビルの最上階には、展望台があるのでしょうか。」
女子係員が名札付きでそばに立つが、暇そうなので尋ねてみ
た。
「あれ、あのビルは回転する喫茶店があります。眺めもいいで
すよ。」
「こっちの、もっと高いビルは?」
「知りません。行ったことないのです。ーー日本から?」
「はい。いい博物館ですね。他では見られないものを見ました」
「そうですか。下に大きな資料があります。ぜひ見てください」
蟻塚だった。これを奬めたのだとその時は思ったが、反対側
には奥まったコーナーがあって、隕石や隕鉄を展示していた。
日本で見るものとは数も大きさも異なっていた。南半球、とく
に極に近づくほど多い。落下する量は同じだが燃え尽きるのが
違うのか、量そのものがすでに違うのか、その辺りを知りたい
と思った。
帰りがけに例のColesで買い物をしたのだが、日曜の午後には
おおげさにディスカウントをする。肉片の値札には、上からマ
ジックインクで元の半額程度の値が書いてある。ソーセージを
取り、炒め物用にバターを取った。
並んでレジに出すと、女店員が2$と打ったのをかれは見逃さ
なかった。
「スキュースミー.ワンポイントファイブ、ワズリトン.」
女店員は黙って場を離れ、バターを手にしたまま棚へ向かっ
た。もちろんかれの見たことに間違いはない。
マジックペンを手にし安売りを喧伝する年上の女店員に、何
やら声高に言った。そしてレジに戻った。
手が違うのだ。打つより叩くのだ。袋に投げ入れる。
<なんだ、この野郎>かれはそう思った。
お釣りも、銭形平次じゃないが、ほとんど投げてよこす。サン
キューもない。
「いやな奴やな、ええ?。こっちのミスでもないのになんであ
んな態度するんや。日本やったらやっとれやへんでえ。」
でも帰宅後、準備してたしなんだサラダ・肉・シェリー酒は
おいしかった。 気分が回復した。
この宵の散歩は、最初は高速沿いの平場を歩いた。池の端に
は藺草、水面に鳥、中央に噴水。橋を架け、滝を作り、木立を
くぐる。目だけではない。鳥の声が耳を憩わせる。そんなムー
ディな小径(パス)を抜けると、大きな歩道橋がキングズパークの
中腹へと弧を架けていた。湖上でジョギング人に追い抜かれ、
すれ違う。丘の上から、黄金の眺めを楽しむ頃、たそがれてき
た。
満月だった。
湖面には蒸気船の形の観光船が滑っていた。
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