背景は、キングズパークから見下ろすパース市街
☆ーすー☆ 動物園
☆ 湖面の中央にフェリーが往来する。高層ビル側の岸と住宅地
区側の岸とを結んでいるのだ。
その日、宿を出た時には舟着場から対岸に向かう予定だった。
ところが歩く道中が余りにも素晴らしいのだ。ビルのあわいに
は真緑の芝が広がって英国風庭園を形作るし、それを横切るも
眺めるも遮る気配はない。やがて近代的な建造物があり、その
上に樹木豊富な庭園があった。フレームもある。バラだろう。
近づくと、下からバスが出入りしていた。二階は、といって
もこの国では「ファーストフロアー」と言うが、構内に案内所や売店、
トイレがあって、人が時間を待つ。そのまま外へ出れば、バラ
のフレームやベンチの庭園が作られているのだった。
「動物園へ行きたいのですが、ーー」と案内を乞う。
「No.9でどうぞ。9:30ですよ。」と応え、間をおかず仲間との
おしゃべりに戻る。
バスは運転手からキップを買う。同じゾーン内で二時間以内
なら降りてもまた使える。1zoneだから80セント(64\)が大人ひとり
の料金だ。
もちろん一番前に座った。いつも丘の上から見おろす辺りを
今走っている。そして逆に見上げている。下からの丘の眺めも
実に快いのだった。
風景の中心の橋を渡った。向こう側すぐ左に風車小屋がある。
Mill Placeと称する。そこをやや過ぎてバスは左折した。
「Zoo,please.」
「OK」
十時開園で、門前の広場に小学生と思われる団体が二グルー
プいた。
かれはこの間まで教師だったから、興味があった。観察する。
先生は子どもたちをしゃがませて名を呼んでいる。点呼だ。
やがて大きな声で先生が話す。注意事項を伝えたのだろう。
<日本と全く同じなんだ>
同じなら感慨はないはずだが、妙に感慨が大きい。
二列になり整然と入園し始めた。入ったらすぐ班別行動で、
それぞれの方向へと歩いて行く。どの児童も手には「学習記録
用紙」かなにかを持っている。
かれと妻は、動物園を楽しむつもりはなかった。カンガルー
とコアラを見たら気が済むのだ。
入ったすぐにインフォメーションがあって、園内案内図を置いていた。
人はこれを貰う時、コインを出している。どうも定額ではな
いから、善意の浄財の見返りに貰うものらしい。
しかしかれは近づいて、厚かましくも、
「済みません、小銭を持ち合わせなくてーー」と言ってみた。
すると五十年輩の女性係員が、にこやかに二人分の印刷物を
手渡して、
「構いませんよ。で、どこをお望みですか?」とまで親切にし
た。
「カンガルーとコアラです。」
「ほら、こう行って、いちばんあちら側ですよ。OK?」
「ありがとう。ご親切」かれは嬉しかった。異国びと、いや日
本人が厚遇されるように思えた。
動物園というより森の小道を歩く風情があった。
カンガルーのエリアにも、どれが餌場、どこが寝るところと
いったような収容所風の場所はない。山と畑の境目みたいなと
ころに一家族と思える三頭が、人に気づいて耳と目とを鋭敏に
している。T型の上唇がヒクヒクしていた。
こんもりした樹を柵が囲んでいる場所に「コアラ」と記され
てあった。
「どれがか?」「どこにか?」と言いながら二人は一回りした
が見つからない。諦めて先に進むと、風車の井戸があった。こ
の国は、たとえそこが砂漠でも地下に十分な地下水を貯える。
風車がこうして地下水を汲むと示すものだった。数秒おきにド
ドーと濁り水が池に落ちる。だがすぐに沈澱するらしい。ホテ
イアオイを浮かべる池の水は、落下点の外は澄んでいた。
池を見る時、一人の婦人がゆっくりと通りかかった。「ハロー」
と愛想すると、胸に写真付きの名札が着いていた。職員だった。
「あちらのコアラ・ガーデンで、私、見つけることができませ
んでした。」
「おお。どうぞ、もういちど。」と先に立って見せる様子だ。
樹木を三分の一周して、樹のかなり上の、枝の分岐が多いと
ころを指さした。「あなたは、見つけましたか?」
動かないのだ。枝に布切れが架かっている程度に思える。
「はい。」
お礼を言って、婦人が去ってからも、ビデオチャンスを求め
て見ていた。
「動いた! アハハ、本物やったなあ。そやけど、もちょっと
大きく動いてくれんかなあ。」カメラには全身はおろか半身も
入らなかった。
敷地が広大で、時には「田舎道」を迷った。
出口の方向を求めて歩く時にオランウータンがいた。賢い
「森びと」は、かれの妻がバッグ内に持つピーナッツを、どう
して知るのか、長い手を伸ばして「チョウダイ」とせがみ続ける。
表情と仕草が切実に伝わってくるのだ。
「やるわ。」
「あかん。そういうことするで、自然の自然らしさを損なう。
やめとき。」
だが、そんなやりとりなんか切なる情に押し流されてしまう
のだった。
<ことばちゅうもんは、本当は伝達の補助手段なのかも知れん
な>かれは妙なところで本質的な思索をするのだった。
通りで戻りのバスを待つ。時刻表には通過時刻は書いてない
から、勝手に十五分ほどだろうと想像して、バス停に腰掛けた。
六十過ぎのおばさんが来て、かれの横に座った。
「シティセンターへいけますね。」
「行けますよ。でも、ほら、あそこの角を右に曲がってまっす
ぐ。フェリー乗り場です。降りてどのバスに乗っても無料でシ
ティセンターへいけます。」
「あ、そうですか。そのバスはジョージ.テラスを通りますね。」
「いや、"Saint" George Terrace です。」
「えっ?」かれは熟女の謂いがよく分からなかった。
「"Saint" George Terrace 。」熟女は、「聖」を俗化するこ
とを許さないのだった。
「分かりました。」
「通りますよ。」
<紀州でも四国でも弘法「さん」、鹿児島では西郷「さん」。
異国にあっては異国びとの心を汚してはいかん>
「あんな、この人、こう言うとる。あのビルの向こう、舟着き
場や、舟降りてただバスがモールまで、どのバスでもただやて」
会話の結果を妻に伝える。妻に疎外感を生じさせないようにす
るのも、かれの仕事だ。
「そう。」
「せっかく教えてもろたんや。トライするか。」
十二時を過ぎていた。バスはすぐ来るのかも知れない。
「サンキューマーム.ウィルトライ.」
かれらが角を曲がるまでにバスは来た。<しまった>と思い
ながら行く先を見送ると、バスは街とは反対の方へ走って行っ
た。
それ以後、"Saint"にこだわっていたが、バスのドライバー
も街の人も、わざわざ"Saint"をつけて通り名を呼ぶのを聞くこ
とは一度もなかった。多分、あの熟女は大事なものが薄れ廃れ
ゆく現代を、嘆いている人だったに違いない。
フェリーはワンマンで運航される。纜(トモヅナ)を上げてしばし
バックする。そして漣の河面を一路ビルの街を目指す。川風が
顔に快い。またここから見るキングズパークも宿の辺りの建物
と樹木との混じり具合も、前方の広いグリーンも目に快かった。
バスは、駅前で降りるとドライバーに告げ、ドライバーは
「ここだ」と促した場所がウエリントン通りだった。
郵便局の前の広場で、バスケット選手の壮行会を派手にやっ
ていた。多分外国遠征なのだろう。下壇して並び待つオープン
カーに乗って立つ。旗持ちやチアーガールも街を練るために出
発したところで二人は郵便局に入った。
これで三度目だが、いつも局員は立って応対している。封筒
を計って切手を売るだけの仕事でも、勤務時間の間立ってばか
りでは疲れるだろう。しかも愛想がいいのだ。切手一枚95セント
を買ったかれにも「センキュウ.」と謝した。
遅い昼飯だが、駅向こうの集合中華食堂へと来てみると、閉
まっていた。
近くにイタリア料理があって、席を取った。雰囲気はいい。
ウエイトレスがメニューを持ってきて、いったん下がった。
サンプルがないからメニューで決めるのは難しいのだ。
「Fish & Chips, アンド、カルボナーレ、パスタ. あ、ビア、トウボトルズ,
that's all.」
これで18$(1500\)だった。
☆ |
☆ーせー☆ 家を買うなら
☆ この地で五日間の経験を積んだ。かれは自転車に乗れるよう
になったばかりの少年のように、街中のどこへでも自由に行け
る気になっていた。だが「手放し」ではない。地図をいつも握
って歩く。そういう一日の行動を示してみる。
St.George Terraceの日本総領事館(ビルの21F)を訪れると、
白人の女性係員がガラス越しに顔を見せた。防弾ガラスのよう
だ。「Requirement」とインターホーン脇に表示がある。
「Do you speak Japanese?」とかれが言った。
「はい、すこし。」と白人女性が応えた。
「実はーーー」と、かれが話そうとする時、
「待ってーー、係りの人に、代わります。」と奥に引っ込んだ。
防弾ガラスだから中は暗く見える。
「はい。」と日本人女性が現れた。ガラス越しに話す。
Immigration Centreへ行ったいきさつを話した後で、ボラン
ティア団体や成人学級の紹介を受けたいと述べた。
十五分ばかり待った。長椅子と新聞架に産経新聞があった。
隣の部屋に人が出入りして、中では生け花を習うらしかった。
「これだけで済みません。」内外に通じる抽き出しにコピー三
枚を入れて外に出した。彼女なりに情報収集したのだろうが、
それは単に電話帳の「リタイアメント・ビレッジ」部分だった。
「言葉は良くないのですが、養老院です。そこでは自助、相互
扶助ですから、どうでしょうか。ーー成人学級や文化教室は、
それぞれの地域にあるのです。もし住まれるところが決まった
ら、そこで聞いてください。あ、それから、不動産屋さんの名
刺をコピーしておきました。」
かれは二三質問した。そしてここではかれが望むような情報
は得られまいと感じた。また、<移住するなら夢を持ってした
い、養老院はまだかなり早い>とも感じていた。
オパール屋。女店員が日本人だから妻は高貴な品物をゆっく
りと見ている。かれは女店員の一人と話す。彼女は商売そっち
のけで、息もつかずに話す。街のこと、日本人のこと、不動産
屋に騙されないこと等々、さまざまの情報を放出する。
Food Land。食料品マーケットだ。帰りに買うから見るだけ
だった。
「櫻」。日本食レストランだ。女店員一人が和服で応対した。
気になって尋ねると、
「日本人は私だけです。もとは日本人が経営者でしたけど、今
は香港の人です。」
刺身定食、サンマ定食にビール、ワイン2cup。26$だから
2000\少々になる。この国では高い方だが、エクスペンシブ・ジャパン
から見れば極度に安い。
コピーの不動産屋に行ってみた。彼は日本食材料店を営む。
一通り話しをすると、間をおかず「出物」が紹介された。
「ちょうどいいのがあるんです。バンバリーの近くに農園付き
邸宅を頼まれているんですよ。持ち主はねえ、2720万円て言っ
てます。畑は2ヘクタール。ここから車で二時間です。バンバ
リーの町とは十分以内ですよ。」
かれははじめ<いい出物だ>と感じながら聞いていたが、車
で二時間が拘りになり、そんな辺鄙なところへ引っ込むにはよ
ほどの決意が要ると思った。もちろんかれが車に乗れないこと
も、この話しにのめり込めない大きな理由ではあった。
「どうです? 見に行きませんか。ちょうど写真を預かってま
す。」とアルバムに貼った数枚を見せた。
家や、農園に不満があろうはずはない。だがかれはまだ、不
便な場所に隠棲するほどは本物の隠者になっていない。
「こんどの日曜日、この辺りを見て回りませんか? いろいろ
見れば分かりますよ。」
奬め方はうまかった。時間を作り、車を出す準備をすること
になれば、義理でも同行せざるを得ない。そして、かれにはか
つてしばしばあったことだが、情にからんで断りづらくなるの
だ。
「済みません。考えます。」と辞去した。
二人の脚は、すぐ駅に向かった。バンバリーまでは鉄道があ
るが、長距離の列車はEast Perthから出る。車のないかれは、
交通の便を確かめたかった。
電車を二駅乗る。イーストパースは大きな駅舎でありながら閑散と
していた。木製の架橋を越えて駅舎に向かう時、寒々とみぞれ
様にしぐれていた。
Informationは、と見回して、キオスク風なコーナーに婦人
を見つけた。この国によくある風景だが、誰かと喋っていた。
割り込むのが憚られて、すぐそばに訳あり顔で立つと、
「Yes.」と、まだ何も言わないかれに声を回した。雑談相手は
去った。
「Do you have any ,am-- time table to Bunbury?」
「Yes.---Here」と印刷物を出す。ゆっくりと読もうかと思う
間もなく、
「(月曜日から金曜日なら二往復ある)、(片道、2:15を要す
る)、(キップはあの窓口で予約bookingできる)、(料金は、
往復で36$=2880\だ)、(Bunbury StaitonからCityまで無料バ
スがある、列車に連絡して。帰りは同じ場所から接続バスが出
る)」など、尋ねもしないのに丁寧な「回答」がなされるのだ
った。けだしかれには有り難かった。
「センキュー。で、海はちかいの?」海が好きだからそう問うた。
「そう遠くはないはずです。」答えは曖昧だった。問うかれの
距離感と車社会びとのそれとは同じではない。
再び街に戻るには、80セントの同じキップで電車に乗ればいい。
「やっぱり遠すぎるかなあ。」
列車の便は、思ったほど悪くなかったが、積極性をいまひと
つかき立てない。都会文明から遠ざかりがたくなっているかれ
自身をあらためて認識するのだった。
Food Landで買い物して、ただバスに乗るべくウエリントン通りに
来た。そこに「オパール」と日本語で書かれてあった。
「見よか。」と二人は階段を上がった。
若い娘二人が宝石を見ていた。値段を尋ね、会話は具体的に
なったきて、高価なのをごく普通の表情で買い、出ていった。
店には中年の日本人婦人が二人で客をあしらう。
「金持ちですねえ。」かれは、あとでマサエさんと分かった人
に話しかけた。
「あのね、お父さんにプレゼントするんですって、アメリカの
お嬢ちゃん。」
「そう。いいお土産だ。」
「あの人達ね、ここの人もそうですけど、クリスマスにする贈
り物ってとっても大事にするの。」
「そうか。日本人とは違うんだね。あ、モーパッサンか誰かに、
髪切ってカモジ屋さんに売ってさ、旦那さんにプレゼントする
って話し、あったねえ。」
「ええ、私もそれ、大好き。ええとね、モーパッサンだったか、
ああ。」
「いや、じゃなくてオー・ヘンリー。そうだ。」
「そうそう。いいお話しねえ。じわっと心が染み込んでくるわ
ね。」
「それに、どの話しにも、オチがあるじゃない?」とかれもこ
の種の話しなら大好きだった。
「こんな話ししてて、お店の邪魔になるね。」
「いいんですよ。私も好きですから。なにかこの方面の方?」
「いや。横好きかな?」
話しは、マークトゥェインの短編やモームの短編に及んだ。
かれにはこれら短編の記憶はない。トムソーヤーやハックルベ
リー、月と6ペンスや人間の絆なら話せる。
「内容、もう忘れたけど、文章がきれいなの。」
妻はオパールを見、かれは話した。この地に関する情報半分、
小説談義半分だった。マサエさんは、オーストラリアンと結婚
している。出身は愛知の三河だと言った。
「そう、いわばふるさとですね、鈴鹿なら。」
「日本でなら同じニュースを観るね、東海地方の皆様として。」
ご主人は、同じ職を続けるのが苦手で、ある時、鉱物を掘る
と奥地に生活したこともあったそうだ。オパール採掘の免許も
持つ。
「そう。でもこの国の人って、職をよく替わるからダメとか、
続けたからエライとか、そういう考えや、評価ってないんじゃ
ない?」
「そうなの。日本とは違うわね。」
「ねえ。飛行機で隣合った人も、いろいろな仕事をするんが好
きだって、つまり一つの誰はばからぬ生き方なんだ。」
かれは<生き方というものは、個人それぞれの権利で、互い
に対等だ>と脳裏のフレーズにまとめていた。
「ーーでも、ここ、大好き。生活しやすいのよ。」
「冬はどう?」妻が観察を終えていて、口を挟んだ。
「寒くない。私、コートって着たことないもん、ねえ?」と、
後でケイコと分かった人に同意を求めた。
「はい。一枚重ねるかなって、とこですよ。」
二人は名刺を渡し、是非にまた来て欲しいと誘った。
ただバスは、本当は循環していなかった。センターで乗り換
え、George Tr.に向かう。乗客は二人だけだった。しかもドラ
イバーが「サンキュー」と謝して降ろす。
ストーフが台所に入ったから「煮炊き」が出来るようになっ
た。じゃがいもと玉葱の単純なスープ風煮込みだが、懐かしく
ておいしかった。
☆ |
☆ーそー☆ アバローニのつかみ採り
☆ 天気が良くない日だった。だが雨の日だったとは言えない。
天気が異質なのだ。 全天が雨なのではない。特定の辺りだ
けが暗く、その部分に雨が降っている。そういう部分が移動し、
街を襲い。通り過ぎる。その時、街路の樹木は不安げに騒ぎ、
垂れ、なびき、揺れる。
外出がためらわれた。青空が見え、日差しを受けても十五分
後には降雨を受けかねないのだ。気温は低かった。
気になっていた大きなビルの二つに、探検する気分で入って
みた。
最初のは政府系の、いわば開発局的なものだったから、すぐ
出た。もう一つの高い方は、真夜中でも明かりが煌々と残る室
が多く、何をするところかと思っていた。
広い一階ロビーのエレベーター横に数多くの事務所名が書か
れ、25Fには日本の商業、工業関係のソサエティーが入居する。
また、どの会社の名前もなんだか堅い。
「どこに用事ですか?」とガードマンが声を掛けてきた。
「いや、この近くに宿を取っている者だけど、夜中に明かりが
ついていて、何かと思いました。マンションのレンタルではな
いのですね。」
「貸し事務所。私? 二交替で警備。入居する事務所には夜中、
二時頃まで働くのがありましてね。」
インド系職員に警戒心もない。のんびりと話してくれる。
「日本人、よく来ますか?」
「ええ。事務所はいくつかあります。」
そんな雑談だけで外へ出る。
市中に進みながら、航空会社や宝石店でなるべく道草を喰っ
て、Hay St.Mallまで来た時、雨が激しく降りだした。だから
用があってもなくても次々に店に入る。
しかも丁寧に「店内見物」する。
妻が細かいことを尋ねたくなり、かれはいやな思いをする。
たとえば、オパールの石が貼り合わせであるかとか、縁や鎖は
何金なのかとか、気楽に尋ねる。するとかれはそれを英語で取
り次がねばならない。しかし語彙が貧弱だから、苦しいのだ。
やっと店員に分からせたとしても、説明がまた難しい。店員は
勝手にベラベラやっても、かれは「Sorry」としかめ面する。
それを二三度繰り返すと、青い目は両の手を腰の横に広げ「Oh」
と諦める。
かれの妻は、この旅で宝石類を買わなかったが、実によく店
に入り、実に研究熱心に質問した。もしかれにもこの方面の関
心があったのなら、それはいい勉強になったはずだった。
十二時になった。すると待ってましたとばかり、胃が食欲を
あらわにし、
「今日はあそこにしよか。」と、二人はColesの二階へ行った。
「Family Restaurant」と朱の文字がある。
まず盆を取り、ご馳走の前を滑らせながら好きなのを取り、
最後がレジという、いわゆるビュッフェ形式だった。
14.8$。いつも食べるよりは高めだなと思うが、普通に食事を
終えた。満足度も普通、ビールがなかったのも子供も入る場所
だから仕方がない。
午後また歩いて、ある宝石店で女店員と話した。
当地で五年になる彼女は、かつて南パースに借家し、今は十
五分ほどのところに家を買っている。1000万円をローンで返済
中。ここでは借りても買っても同じく月に五万円ほどだそうだ。
「土曜日の新聞に広告がいっぱい載るの、ランクづけされて。
それを見て、直接、電話して交渉するのがいいと思う。」と話
した。
宿に帰ったら、また雨がひとしきり降った。雨の激しい隙間
に虹が立った。
その厚みと色の分解、完全な弧。南パースから立ち上がって
湖上はるか上に架かり、高層ビルを左脚が包み込む。明瞭で大
きい虹が長時間、存在した。
「おい、見てみい。目から虹を見てさ、虹・目・太陽で90度な
んだ。」
「なんて?」
「虹の反対方向が太陽さ。それから、紫色の下側は紫外線、赤
の上は赤外線。」
「どの色?」
「見えないさ。」
雨は、高層ビルのそこまでを限りに降っているから、ちょう
ど街に雨簾(アマスダレ)の幕を下ろしている。寒い。
チンゲンサイ、もやし、マッシルームの炒め物、鰯の缶詰、
それにシェリー酒。
食中も食後も、そぞろに旅情を催す。
次の日は天気晴朗に明けた。
この日、郊外への一日旅行計画を具体化しようとしていた。
ガイドブックや新聞に示された北上コースにピナクルズがあっ
た。南下コースでバンバリーを通るのがあるのかどうかも知り
たかった。また複数あるらしい旅行社の、種々を尋ねながら
「賢い」旅行を実現したかったのだ。
ヒルトンホテルのデスクで情報を得、申し込み方を聞いた。
街中の旅行社でもパンフレットを貰い、説明を聞いた。そして
第三の場所、駅前のInformationに来た。
ひょっとしてこんなのがあったら、と右のカウンターで尋ね
ると、
「あそこの棚にある。」とバンバリーを含む南下コースのパン
フを教えてくれた。
昼食付き、原生林の森林浴やエミュー牧場見物、ワイン試飲
などとある。
ピナクルズ方面の北上コースは、日本語パンフレットにある
ものとほぼ同じ内容ながら、値段が半額なのだ。しかも二コー
ス申し込めば別の一日コースをただで付けることになっている。
「日本語、要らへん。160$と80$とは大違いや。」
一人分の料金で二人が参加できる。しかも昼食付きである。
申し込みはせずに辞去した。
クリスマスカードを売る。ミュージック付きで1$だ。かれは
出すべき所を数え上げた。そして八通を買った。中国製だった。
モールにはFood Hallが三つある。教会に近いのがいちばん
のお気に入りで、品数も多く、ビールもある。この昼も豊かな
気分で食事を終わった。
帰る途中にCollegeという金文字を見つけ、そのビルに入っ
てみた。
「Alexander Language School」とある階へ上ると、エレベー
ターすぐ前に事務室があった。
「なんでしょうか。」と金髪の職員が愛想よく応対した。
「私は日本からーー(ここに住んでみたいと思っている)ーー
ーで、この年齢でも入れますか。また、ハイエイジの生徒って
いますか、私みたいな?」
「いません。ーー下の階に、こう直進してすぐ左の部屋に、相
談に乗る人が居ます。今、電話しますから、そちらで話してく
ださい。ーーええ、若い人、私と同じくらいに。」
応対したのは、中年婦人だった。経営者的な風格を持ち、す
べてに答えた。
「ーー若い人ばかりです。香港、タイ、インドネシア、日本か
らも来ています。年齢に関係なく希望されれば受け入れますよ」
入学用の書類を二部、手渡して、ある部分を抹消した。学費
振込の銀行口座を記した部分をである。
「ーーじょうずに英語を話しますね、ほんとですよ。でも、入
学したらBiginner Courseからですよ、規則なんです。で、二
週ごとにテストします。すぐ上級へゆけますよ、きっと。」
必要な話しが済むと雑談になる。
「英国はウエールズの出身です。」
「どうりで<アイ>がない。ーー昨年、ストーン・ヘンジを見ま
したが、」
「近くですよ。」
握手し、再会を望み、ドアまで送られて出た。
<第二の人生に、勇気が要るのだろうなあ>と、行く末を想像
するのだった。
ここに入学すればステューデント・ビザが出るし働いてもい
いと、女史が言ったのが、実は法律に照らして間違っているこ
とに、その時かれは気づくべくもなかったから、<人生を更新
する>大きな候補コースと感じていた。
かれは、丁寧に折り畳んで入学案内をリュックの書類挟みに
収めた。
宿に戻り、おやつ、昼寝。
「木曜日の街は夜遅くまで開くのやて。」妻の情報だ。
夕食を済ませて、身軽な格好で外出する。
通りを歩かないでベイ・ストリート沿いに歩くと、バスポー
トに至る。その先は、またまた表現しがたい解放感を醸すグリ
ーンだった。そこに人は、「いない」と言った方がいい。左か
らはビルが見おろしている。
広さは、野球場の四つぐらいを合わせたほどの芝生で、手入
れもよく行き届いている。
二人は、その直中を行きたい方へ障害なく伸びやかに進んで
行った。
「ここなら洋太郎も存分に走れるなあ。」
「和太郎君が、あの辺から『ワーッ』て言いながら手を挙げて
来るぞ。」
かれには娘の家族とここで生を享受する様がイメージされて
いた。
植物フレームの建物があった。幼児が一人、建物にフットボ
ールを蹴りつけては、そのリアクションをまた蹴る。
次の場所には金網の囲いがあった。
「Child Care Centre」とあり、そこのトイレが公衆のを兼ね
ている。
グリーンが尽きるところがバス通りだが、巨大な樹木が両わ
きから「傘」を差し出す。泰山木だろうがそれにしては太いな
あ、と見ると、実がなっている。路面には小粒な無花果が落ち
ている。堅いから、イヌビワだ。
泰山木にイヌビワの実。こうかれは記憶している。
実は異国の自然観察にはこういう事態がしばしば生じる。昨
年、ニュージーランドでも原生林で、巨大な密生樹木に興味を
持って観察したことがあった。バスの窓からは幹の肌は樺に思
えた。葉は、ほとんど黄楊(ツゲ)と同じに細かく密集していた。
「なんと言う木?」と、尋ねると「Oak Tree」とドライバーは
答えた。
<え? カシワならもっと葉が大きいよ>と、かれは樹木の枝
を観察しに行った。葉は、まるでミニチュアーだった。「かし
わ餅」を包む豊かな葉が、一寸法師か親指姫の、いやガリバー
の見た小人国のもののように、かわゆく枝に息づいている。三
十メートル級の巨木のどれもがミニかしわの葉を豊富にまとっ
ていた。
舟着き場へ来た。簡単な施設だが、ここも観光の一センター
である。ロットネス島観光船の案内が二コース、船の絵入りで
大きく宣伝されてあった。
「ロットネス島へは50$、船内ふんだんなスナックあり」と書き
出された船は、日本各地の「湾内めぐり」のそれとは比較にな
らぬほど大きかった。
「行くか?」かれは妻を見た。
「ーー」興味が熟していないようだ。
土産物売り場に入る。
「10%安くしますよ。」と日本語で声を掛けてきたのは、大阪
出身の女の子だ。
置く絵はがきが、他のとはズバ抜けて出来がいいとかれは感
じ、全写真を点検するように丁寧に見る。その間、妻が売り子
と喋った。
「学生です。午後は、アルバイトしに来てます。うちの両親、
一度おいで、と言ってもちっとも来ないの。お宅達、どこでど
んな風に泊まってるの?」
「そう、キッチン付きのそんなんがあるの? うちの親、来た
らええのにね。」「ええとこよ、ここ。海岸沿いのヤンチップとい
うとこ、鮑なんかほんそこにウヨウヨ。え?深さ? ここ、膝
くらい。でも採るの、許可が要る。うん、郵便局行って25$で買
うん。Abalone License(アバローニ・ライセンス)て言うの。ようけ採った
けど、私、自分で料理できんでしょ、で、この上のレストラン
のコックと仲良しなん。料理してもろた。バター焼き、うん。
いっしょに行った友達、自分で刺身にした言うてた。」
こんな話しが、かれには忘れられないものとなる。
「ありがとう。仕事の邪魔したかな? そう。また遊びに来る
ね。」
たそがれはじめていた。
二人は、バラック・ストリート、ヘイ・ストリート、ウイリアム・ストリートと進んでいっ
た。
「だめやなあ。」
レストラン以外は、もう閉めはじめている。歩く人も少なく
心細い。
<何か事件などがあったらーー>と、時に不安にさえなる。
帰ることにした。風呂を立て、靴下、半袖シャツ、ブルゾン
を洗い、かれの傍らに浮かべてゆすいだ。
ベッドでテレビを観る。ニュースで「失業率8、7%」と言う。
意外だった。街の落ち着きからは想像もできない。
<働くのが嫌いなんだ>と思っている人も、それはそれで一人
の人生観、他と対等でなんら遠慮が要らぬ。失業者は肩身が狭
い日本とは質の違う世界だろう、とかれはまた、思索のモティ
ーフを得た思いがしていた。
☆ |
☆ーたー☆ 黒鳥の湖・モンガー
☆ 七晩を過ごしたから、約束通りに一週間分の宿代を払う。そ
の際、かれは二つ、質問を用意していた。真面目な高校生のよ
うに、である。
「ーーありがとう。で、質問していい? リネンのこと。タオ
ルなどどうしておけばいい? (部屋にスタッフが入るから、
そのままでいい。)そう。もうひとつ、いい?外に満開の、紫
の花、あの花の名前は?」
「ジャッカランダーー」
「これに書いてほしいーー」
「JACK A RANDA」 意味ありげな名前だ。
「日本の桜とそっくりなんだ。ただ色が、目に異常を来たした
みたい。」
「すばらしい花ですよ。で、楽しんでますか?」
「ええもう。今日は、黒鳥(Black Swan)を観にモンガー湖まで
行きます。」
「そりゃいいですね。」
Bus-Portでバスに乗ったのだが、納得できないことが起こっ
た。
かれが最初、「Lake Monger」と言うと、ドライバーは確か
2.20$と言った。ところが支払おうとする時3.00$になったのだ。
しかも一度は出たキップを、ドライバーが破棄して新たに出し
たキップだった。
かれはクレームしなかった。複雑な表現に自信がなかったし、
かれには未知の理由があるのかも知れないからだった。だが、
ほぼその日の半分、このことが心のシコリになっていた。
「この人ら、職員やろ? 料金ごまかして、自分の得にはなら
んわなあ。」妻の耳にささやく。
「キップ、出し直したのが気になる。」
「もうええやないの。」
後ほど、資料を見ながら、かれの達した結論はこうだ。
<2zoneだから2.20$のはずのところを、かれが二人だから
Two Personsとつけ加えた。このTwo Personsが別の意味に取ら
れたのだろうか。3.00$は二時間をオーバーしてキップを再使
用する時の料金と同じだから>
一日乗り放題のフリーキップでも5.50$だから、3.00$は相当
な高額?だ。換算したら240\だからと気前よくはなれないのだ
った。
十五分も乗ったか、「Monger ?」と促されて、古びた住宅街
の一角でバスを降りた。
広い池だった。水を豊かにたたえるから周辺の小径の際まで
ひたひたと小波が寄せる。汀(ミギワ)の水中には藻が、外には水
草や藺草(イグサ)や蒲(ガマ)の類いが縁どりを快くする。湖面に
片寄りを見せながら黒鳥が浮き、眺めやらんと近づくと、はっ
とするものがあった。
小径すぐそばに巣篭(スゴ)もる鳥がいた。水草の群生が年を
重ねて作った浮き島に草を分け草葉を敷き広げて上に匍匐する
鴻(オオトリ)が、澄んだ眼と額の赤い瘤とをこちらに向けている。
警戒しているには違いないのだが、逃げようともしなければ身
じろぎの気配もない。
「ホラ、ビデオ、トルワ。」ほとんど無声音に近い声で言い、そっと外
したリュックからカメラを取り出すのだった。
数メートル毎に営巣している。たまに、テレビで見るような
子連れが泳ぐ。表情はないが動きにそれぞれの「らしさ」があ
って、かわいくいじらしいのだった。
通りに近いところにベンチなぞ設けた場所がある。車で来て
憩う人やリハビリの車椅子に乗る人などが屯(タムロ)する。汀が
餌場になるから、寄ってきた黒鳥がギャーギャー騒いでいた。
餌を求めて人を追うのもいる。
<こんなのは見たくない>とかれは思った。
ジョギング中の人に駅への道を聞いた。彼方の信号で交差点
を左に折れれば直進だと教えてくれた。
日差しはきついが、陽気は快い。多少の「歩き」もいいか、
と野を歩き、やがて住宅街を観察がてらに歩き、五十分の後に
スビアコ駅にたどり着いた。街中には思いの外に多く
「For Sale」の立て看板があった。うちの一軒は、入って中を
見たくなり、門の外でためらっていると、中に人影が見えた。
<Can I ---?>と声帯が言葉を用意する間に、それは内装工事
の人だと分かった。
値を知りたかったのだ。後ほど新聞広告を見るのだが、売り
物のいちいちに関心を持つに値しないほど出物はふんだんに存
在するのだった。
スビアコはパースからフリマントルへ向かう路線の二つ目の
駅である。フリマントル線は、駅が細かく二駅は五分ほどでパ
ースに戻る。中華街で昼ご飯を食べて、食後はアートギャラリ
ーに入った。
ここで見たことを書いても読み手にあくびを誘うだけかも知
れないから割愛するが、この地の文化発展の芽になろうとする
意気込みが、随所に感じられたことだけは記しておこう。
夕食後、かれと妻とはKing's Parkに上った。そして、日記
にこう記している。
<ーーKing's Parkに上り、写真を撮る。空気は清澄で景色に
汚濁はない。黄昏(タソガレ)から闇になる間を、Mount Bay
Streetに下り、ホテルや病院前、滞在第二候補にしてあったア
パートを見て、階段を登る。これがきつい。観光名所になるほ
どの階段だった。
夜中に咳込むこと、しばしーー>
翌日、土曜日なので、かねて聞く新聞が欲しいのだが、街中
のどこかで買えるだろうと交差点まで来ると、少年が一人いて、
信号で停まる車に近づいては新聞を売っているのを見た。
あまり売れてはいない。
車も、土曜日だから少ない。少ないのをナメるようにかれは
道路の真ん中を横切り、少年に近づいて、「How much ?」と問
うた。
1.25$(100\)で買った新聞が、その量たるやただ驚きに値す
る。売り子が抱えていたのは一部だけだったのだ。週刊誌十冊
分は優に越える。
通りを越えて、かれはリュックを降ろし、折り畳んでしまい
込むには厚すぎる新聞を、どうやって一日中持ち歩くか、しば
らく決めあぐねていた。
スビアコのフリーマーケットはメインが古道具、古本で、さ
ほど見るべき物がなく、しかも安くはない。八百屋だけが例外
で、豊富に野菜と果物を広げていた。
駅を挟んで表側は、パビリオンと呼ぶ一棟にぎっしりと入る
小商店群がある。一番奥がFood Hallになる。
何も買う予定もなく見て歩く時、日本語で呼び止める人がい
た。一店を持つおばさんだった。
この地に住んで四年、友人の紹介、またその人の紹介といっ
た連なりで日本からの客を泊め、あるいは近隣の宿を紹介する
と言った。たとえば、斜め向かいに同じく店を持つ西洋人のお
ばさん(イタリー系)は、三月十三日から五月十三日まで家を
空けるから誰か日本人で、留守番をかねて居てくれる人を紹介
してほしいと頼まれていると言う。場所はシティ(パースのこ
と)から十分のところで、週200$(16000\)でいいとか。
かれはそういう類いの話しがとても気に入っていた。
「おばさん、あ、失礼。」
「おばさんでいいですよ。」
「名刺か何かくれる?」
「これ。」と、手作りのネームカードにゴム印が押してあった。
「YOKO MORIMOTO 3,TURNSTONE STIRLING W.A.6021 PH & FAX
09-446-5271」
「この店の名、なんて言うの?」
「ナナ。」
かれは将来、しかも近い将来、この人に何かを頼むことがあ
りそうに思えた。
この昼、かれらは中華のコンビネーション大皿を一つ取った
だけだった。若いアベックのようにこれを二人でつついた。店
員も心得たもので、箸やフォークを二人分差し出すのだった。
午後、宿に荷を降ろしてから歩きに出た。
前方のスワン川が河口湖をなし、くびれた部分に大橋が架か
る。その部分は「Narrows」と呼ばれ、「Narrows Bridge」を
車が高速で滑る。片側の外には人道があって、自転車やジョギ
ング族が通行する。もちろんかれらのような歩き族もある。渡
り終えれば川向こうは風車小屋の建つ「Mill Place」だ。川面
にはボートが水上スキーを曵いて走る。
景色を楽しんでからこちらの岸に戻る時、サイクリングの家
族がかれらを追い越していった。父親中心に三人の子どもがそ
れぞれ自転車を漕ぐ。もう一人、長女がローラースケートでジョ
ギングする。犬も舌を長く垂らして走る。
橋を渡り終えると、そこに家族は止まって休憩していた。犬
がバテて、長女の手に載った水道の水を、何度も貰っている。
下の坊や二人は、自転車のサイドにまだ補助輪がついている。
ヘルメット姿も無邪気でりりしい。
「Your family?」かれは父に聞いてみた。
「Yes.」朗らかに笑った。
そして小さい子から順に、また元気に漕いで行った。
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