♂♂ 今週の旅の話(2002.5.24) ♂♂


これは5月23日、鈴鹿市飯野公民館で行った講演の原稿です。

. .青少年育成市民会議の総会の後、1時間15分の話でした。. .

   身体の調子を崩したので、やや堅い話しぶりだったと反省しています。

. ."世界の 青少年は”

. . 藪野 豊
   講演 2002年5月23日飯野地区青少年育成町民会議総会で

[はじめに]
 自己紹介をします。藪野 豊と申します。高校の教師でした。最初は志摩
高校、員弁高校、桑名高校(ここは私の母校で、まだ恩師もほとんどおられ、
緊張の連続でした)、次いで四日市南高校、すぐそこの飯野高校を最後に退
職しました。国語の教師です。

 人生とは、一本の道しか歩けないものです。たとえば就職するときに、雑
誌社と教員採用試験とを受けるとしましょう。最初に合格通知が来た方にま
ず「行く」か「行かない」かを決めなければならない。

 私の場合、生活が第一でしたからともかく職に就かなければなりませんで
した。で、愛知、岐阜、三重、大阪を受けました。半田高校、飛騨地区の高
校、天下茶屋中学。結局、三重に決めたのは校長先生が私の家まで来られ、
そのとき山で木を伐る現場で感動し、「行きます!」って言明しました。
 二つの道は歩けません。一本を決めたら他は断念するのが人生の宿命です。

 ところで、退職後の人生を「第二の人生」といいます。
「第二」とはどういう意味でしょうか。

 一本しか歩めなかったはずの人生に、もう一本だけ、別の人生も歩ける、
という意味に私は考えました。
 日本で教師をして、第一の人生を過ごしましたが、その間に、こんな風に
したいなあ、と憧れ、しかし叶わなかったもの、それをもう一つだけやるこ
とが出来るのです。

 譬えで言いましょう。
 ランチを奢ってもらうことになった。あのメニューから選びなさい、と言
われ、見れば、お寿司の握り、海鮮丼、鉄火丼、てんぷら定食。どれか一つ
だから、ほいじゃ鉄火丼と。
 でも向こうのテーブルで海鮮丼をうまそうに食べている。あれにすりゃよ
かったな、と思ったりする。
 ある時、もう一度あそこで奢ってやる、って言われた。すると、どうしま
すか?
「じゃ、海鮮丼」って、私は言います。これと同じです。

 在職中、よく思いを向けたこと、それは、海外へ出てみたいってことでし
た。「兼高かおる世界の旅」なんて、とっても好きで、よくビデオ録画した
ものです。
 退職少し前から習い物に力を入れ始めました。
 英会話、仏語会話、そして、それほど力が入ったわけではありませんが、
中国語会話。いちばん力が入ったのはフランス語会話でした。
 最初はパック旅行、つまり旅行社が募集する団体旅行に加わり、ガイドや
添乗員つきの、いわば既製品の旅行に参加しましたが、やがて自作旅行に
切り替えました。つまり、航空券、格安航空券を買う。現地のガイドなどな
し、自分でホテルを見つけ、列車などに乗り、飯を食う。そういう旅行です。

 パック旅行に比べ、その二分の一か三分の一ぐらいの費用、いや、2週間、
3週間、一ヵ月なんて長旅するのですから、もっと安いはずです。そんな旅
行をするようになりました。
 今まで行った国や都市をここに掲げます。

[黒板に書く](国名だけ)
 韓国=    プサン、ソウル
 中国=    香港、上海、北京、杭州、昆明、−−二年間住みましたので
         また後で。
 マレーシア= クアラルンプル、マラッカ、ジョホールバール
 シンガポール
 タイ=    バンコック、チェンマイ
 オーストラリア=パース
 ニュージーランド=クライストチャーチ
 英国=  ロンドン、エディンバラ、リバプール、
   ストラットフォードアポンエイボン、ソールズベリー(ストーンヘンジ)
 ドイツ=   フランクフルト、ミュンヘン、ケルンーーーこの国も沢山の
              小都市や田舎を回りました。話の中で触れます。
 オーストリア=ウイーン
 フランス=  パリ、ロワイヤン、マルセイユ、ニース、ユッセル、
       ディジョン、グルノーブル
 イタリア= ミラノ、ベニス、ボローニア、フィレンツェ、ローマ、ナポリ、
 スイス=   ジュネーブ、バーゼル、チューリッヒ、ルツエルン、ベルン
 スペイン= バルセローナ、マドリッド、トレド
 アメリカ= ハワイ(ホノルル、オアフ島、カウアイ島)、アラスカ(アンカ
       レッジ、空軍基地も)、
       ニューヨーク(マンハッタン、ブルックリン)

 第一の人生を忘れた気持ちで、こうして第二の人生を、海外旅行、海外滞在
するのですけれど、やはり第一の人生の「名残り」があります。各地で見る子
供や青年と、日本の青少年とが、知らない間に比較されて記憶に残ります。
 そういう青少年に関わる話を中心に世界各地を紹介して参ります。

 私は日本より外国が優れているとは思いませんが、日本が外国よりすべてに
関して優れていると考えるのも大きく間違っています。
 先日、千里のある中華料理店へ行きました。店員の一人に少し訛があるので、
聞けば台湾の人。「日本人、どうですか」と聞くと、「日本も日本人も大好き
でした。でも、来てみて、少し、ーーー」。
「どんなとこ?」
「電車の中で、平気で化粧するの、イヤです」
 私も同じ日本人として、最近の傾向に、正直言ってイヤだと思うことは沢山
あります。でも、人間にはそれぞれ個性の自由があるのだからと、強いて思う
ことにしています。多分、大多数の日本人もそうだろうと思いますね。
 で、中国には2年いましたが、それに次いで長いのはオーストラリアのパー
スです。とてもいいところ、ほんとに気に入った。なぜかって、まず景観がす
ばらしい。キングズパーク(クイーンズパーク)から見下ろすと、左にはニュ
ーヨークにまがう近代的高層のビルディングの群、正面は湖面、実はスワン川
の河口湖、右前方は原野が広がっている。宗主国のイギリスから国王(王女)
が来て、ここから景色を眺めたのでこう名付けられています。
 11月、桜みたいな花(色覚異常になったかと錯覚する)ジャッカランダが
満開。
 市中はタテ、ヨコにバスが無料で走ります。郊外から電車が快速で入り、出
て行きます。日本の冬は向こうの夏、言うことはありません。
 その郊外へ走る電車にコトバが書いてあります。
「学生と子供は立ちなさい。さもなければ大人料金を払いなさい
(Children/Students must stand for adults or pay an adult fare)」
 市内のバスをクリッパー(ハサミ)といいます。無料、5分おきぐらいにい
くらも出ています。
 ある日、私と家内が乗ったら、ちょうど学校の退け時でした。
 私たちは、ここのイギリスのアフタヌーン・ティーの習慣が気に入り、町の
南半分にある喫茶店「ワンダラー・カプチーノ」を飲みに行くのです。バスの
片側6〜7人分の椅子に小学生が座り、私たちはそれに向かい合うように吊革
につかまっていました。
 私たちの後ろに高校生が6〜7人乗り込んできました。いつもより込んでい
ました。
 後ろの高校生が、座っている小学生に何か言うのです。私の語学力では分か
らなかったのですが、すると、小学生が一斉に立って、私を見つめて「座って
下さい」って言うのです。いじらしいこと。目のふちの毛、まつげ、白い産毛
が生えて、ソバカスがいっぱいあって。青い目で。
 次で降りるからもういい、って、私にはすぐ言えない。
 その間にも孫のような小さい坊や達が「プリーズ」「シッダウン」なんて言
います。
「アイル、ゲットダウン、ネックスト」と、やっと言えたら、もうバスは停ま
りました。
 ※get off  (I'm getting off at the next staion.) 
  [get down]は、高いところから降りるの意味。
 「ワタシ、コンドのエキ、飛び降りる」なんて聞こえたかも。
 でも高校生たちが小学生に社会道徳を教えるって、とても印象に残る情景で
した。
 またある日、町中でこのクリッパーに乗ったら、2分も進まない内に停まっ
て、運転手が乗客の一人に何か言うのです。見ると、中年男が、何かの飲料ボ
トルを持っているのです。「車中で飲食するな」と注意したのでした。
 オーストラリアでは、大陸横断の鉄道なんかでも、勝手に物を喰わせないの
です。車中で勝手に食事しないと書いてあります。
 ※Perth===2765Km=36h===Adelaide      週2便   IndianPacific号
    Perth======4000Km=60h======Sydney  週1便     食堂で食べる。

 日本でもかつては、立ち食いは品の悪いことになってました。
「みっともないことするな、学校の帰りに買い食いするな、ウチの学校の生徒
がアイスクリームを立ち食いしていた、みっともない」などと言ってました。
車中で食べたりすると「指導」しました。
「ウチの学生はよく席を譲る」などと言い合ってましたね。そういうモラルが
あったのです。でもパースでそれを今、目の当たりにすると、正直、私でさえ、
どぎまぎします。

 ドイツへ行きましょうか。
 私はドイツがとても気に入っています。旧西ドイツと日本とはとても共通点
が多いと言った人がいます。お医者さんの藤田紘一郎さんです。「空飛ぶ回虫」
なんて本があります。「寄生虫感染者にアレルギー疾患はない」これはニュー
ギニアの人から学んだそうです。アレルギー疾患は日本と西ドイツに多発して
いることに着目して、子供達に寄生虫がいないのもこの二つの国だそうです。
先生は、衛生状態が良くなりすぎて抵抗力を失ったのではないかと仮説を立て
ておられます。早く言えば、科学技術が最もよくゆき渡って国なのでしょう。
 ドイツへは何度か行きましたが、とりわけ、あのグリム童話を書いたグリム
兄弟の跡をたどろうとして行った時のことをお話ししましょう。
 私は安い航空券(格安航空券)を買うので、日本から直接にではなく、マレ
ーシア航空ならクアラルンプルに一度降りて、(あるいはシンガポール航空な
らシンガポール、キャセイパシフィックなら香港とか)それからフランクフル
トに飛びます。この空港、とても分かりやすく、空港の地下がすぐ Deutche 
Bahn、つまり日本のJRです。そして外国人にすべてか、日本人にか、とても
親切で「May I help you ?」って向こうから話しかけてきます。 その隣の
オーストリアも同じです。同じドイツ人が同じドイツ語使っています。

 オーストリアの話をちょっとして、その後でドイツの話しに戻ります。
 音楽の都と言われるウイーンが首都ですね。ヨハンシュトラウスの「ウイー
ンの森の物語(Geschichten aus dem Wiener Wald)(ソファミ、レドドー)」
なんてお聞きになったことがあるかと思います。ウイーンの飛行場も地下から
すぐ国有鉄道に乗れます。ウイーン市内には24時間切符、36,72時間切
符があって、どんな公共交通機関も共通に乗れます。切符には、英語、フラン
ス語、そして何と日本語が書いてあります。
 市内を見て回るのは路面電車(Strassen-Bahn)が便利です。三両で道路
の真ん中を走ります。待っていて、前で停まっても扉が開かない。ボタンを押
すと「シュッ」と言って開く。
 観光用に、「ウイーンの森、半日観光、日本語ガイドつき」なんて、一人
6000円ぐらいのがあって、日本人がたくさん参加しています。
 でもこの一日切符で市電の終点からバスに乗れば、山の上の展望台、昔の城
跡なんかに出る。見下ろすとウイーンの町が一望でき、左には川が二本、大き
いのはドナウ川、細いのはドナウ運河。地平線の彼方はどこへ繋がるかと、歩
く人に聞いたら、「スロヴァキア」。この河はハンガリーを、ユーゴスラビア
とブルガリアを通り抜け、そして黒海へと流れるのですから、ここではまだ道
中半ばなのです。
 ウイーンの森って、ほんとはウイーンの丘とか山とか言った方がいい。歩く
のにいいところです。
 また、ウイーン市内にはワインケラーがあります。
 ケラーって地下室のことです。「Wein」、つまりワインを寝かせる地下室で
す。そして、今、地下室風の酒場もこう呼ぶのです。
 日暮れ時から市内のワインケラーは賑わい始めます。適当に席を占めたら
ボーイに注文しましょう。
 ※(Weiss-wein, Strum, Kirsche-wein, Bier, Sake《Reis-wein》,,
   Wurst,,    Trinkgeld=pourboire=tip)
  楽士がいて、席へ回ってくるところもあれば、ケラーの中心部で演奏してい
るのもあります。チップはリクエストしたときだけでいい。ウイーンですから
ウインナワルツを楽しみましょう。向こうの方でかたまって歌っているのは、
同窓会かも知れません。小声ですがソプラノで歌曲を歌う人がいて、誰だろう
と見ても誰もいない。そんなことはないだろう、とさらによく見ると、薄暗い
隅っこに70歳ぐらいのおばさんが一人で何か飲みながら、独り言のように唄
っているのです。それが歌曲(リード)です。
「Guten Abend, Gute Nacht, mit Rosen bedacht.
  mit Nag'lein besteckt, schluf'unter die Deck'. 
  Morgen fruh, wenn Gott will, wirst du wieder geweckt.
  Morgen fruh, wenn Gott will, wirst du wieder geweckt.」
 下手な歌はそれくらいにして、そんなまあ、夢みたいな気分で飲むところで
す。初めて知ってこれほど美味しいものはない、と感じ入ったのは、「シュト
ルム」。これ、ドイツ語で「嵐」って意味ですが、飲むとジュースよりやさし
い。ブドウがアルコール醗酵過程の途中のものです。
 ついついもう一杯、ソーセージをもう一皿、今度はキルシェワインを一杯な
どと、パラダイス気分になります。
 それで気分良くホテルに帰る電車の中、Strassen-bahnの中でのことでした。
 私たち夫婦二人と周辺にドイツから来た5〜6人の男たち、やはりワインケ
ラーで楽しんだ後のように見受けられ、みなさんご機嫌で、私たち向かい、
「Japaner ?」(日本人ですか?)と言います。
 よっしゃ、会話の練習と、こちらもいい気分ですから話します。
「Ya, Sind Sie Wiener ?」(ウイーンの人ですか)
「Nein, Deutch. Sprechen Sie deutch ?」(いいえ、ドイツ人です。ド
イツ語を話すの?)
「Ein wenige.」(ほんちょっとだけ)
 それから英語もドイツ語もごちゃごちゃになって、ドイツと日本は友だちだ
(Freund),(Freundin)などと大声でやって喜んでいたら、電車がすっと停ま
るのです。そして運転手が客席の方へ入ってきて、ドイツ人の客に「静かにし
なさい」と指導したのです。
 ドイツ人は何かやり返す。2〜3度やりとりして、運転手は運転席へ戻った
のですが、ドイツ人、小声で「あいつ、堅いこと言いやがって」とかなんとか
言ったのでしょう。口に指を当てて。そのとき「Fuhler(フューラー)」とい
う単語を思い出しました。
 私の印象に残ったことは、「車内で大きい声で喋っている。これは公衆道徳
に反する行為だから、乗務員として止める責任がある」と運転手が考えている
ことでした。
 前にお話ししたパースのバスが停まったのも、この道徳観によるのですね。
 ウイーンの市電は、それから以後、よく見ていると、いつも大変物静かで、
乗客の動作がガサガサしたりなんかしていません。
   ※ドイツ語を話す国、ドイツ(旧東西ドイツ、オーストリア<98%>、ス
イス<65%>、リヒテンシュタイン

 ドイツへ戻りましょう。
 先ほども申しましたが、この国、私はとても気に入っています。すべきこと
をちゃんとやっている国に見えました。
 たとえば、日本のJRに当たるDeutche Bahnに乗って旅するのに、どんな
小さな駅にも、郵便受けみたいなA〜Zに分類した状差しがあって、この駅か
ら、例えばFuldaへ行くにはどんな列車があるか、Fのところに時刻表が入っ
ています。
 日本で言えば、平田駅にあるこの分類式郵便受けの「お」のところには、例
えば「大垣」へ行く経路と時刻表があるのです、すべて。「平田ー若松ー桑名
ー大垣」も「平田ー若松ー名古屋ー大垣」とすべてを網羅していますし、また
車内には、特急とか急行とかの車種によって停車駅が違いますから、その列車
の停車駅ごとの接続を記した時刻表が置いてあります。
 そして乗ればすぐ車掌が来て検札します。
 切符にはいろんな割引があるようです、例えば学生割引とか。
 田舎の列車内で見た光景ですが、高校生が走り乗ってきて、私たちのすぐ近
くの座席に座りました。スケボー(スケートボード)を抱えてましたが、車掌
がすぐきて、車内切符を買うことになります。お金を払うとき、学生が「学生
割引になるはずだ」と主張すると、車掌が「それは駅できちんと切符を買う時
のことだ」と言い返しました。
 二三度主張し合いましたが、車掌は威厳を崩さず、正規の料金を払わせてい
ました。
 (今日だけまけてやる。次から切符をきちんと買いなよ)なんて言いません。
 またこんな光景も見ました。
 フランクフルトのHaupt-Bahnhof(中心駅)でのことですが、駅構内の階段
の踊り場に、新聞紙を敷いて、水や食べ物、そして大きなバッグを側に置いて
座った男を、駅員4,5人が取り囲んで、ともかく退去させていました。男は
いろいろと言い訳しているようでしたが、駅員達は聞きません。
 これは酷なようですが、私は納得しています。
 ここは通路で、国鉄の社域内です。どんな理由があるのか、それは同情に値
することかも知れないけど、それはそれ、これはこれ、この場は乗客の通路で
あり、国鉄職員はそれを管理する責任を果たしているのです。
 フランクフルトの駅前広場も、時には用のなさそうなのがたむろします。特
に金曜日の夕刻から人が増え始めます。すると国鉄職員か警官かが何人も出て、
座り込んでいる人に物言いをつけています。そして、いずれも数分の言い合い
の後で諦めたようにリュックを担いで、去っていきます。
 要するに「問題の場所」を作らせない、社会的に問題行動の起きやすい状況
を早めに除去しているように思いました。

 車内での話をもう一つ二つしましょう。
 その時、やはり列車は田舎を走っていて、私たちの向かい合わせに一人の男
が座り、アタッシュケースの書類を見ていました。しばらくして書類を納めて
から、目が合ったのをチャンスにして、
「あなたは教授ですか?」と、学者風のその人に尋ねてみました。
「いいえ、公務員です」 ※das Beamte  (official,  civil servant)
「どんな仕事ですか?」
「デザインです」
 私はちょっと分からなくなりましたが、先ほどの書類に、どうも土地の図面
があったようなので、
「都市計画ですか」と聞くと、なんと、私の知らなかった返事が返されて来ま
した。
「いなか計画です(country design)」と。
「田舎駅の周辺に、工場、駐車場、森などをうまく配置する計画です」と教え
てくれました。
「田舎計画」、日本人の私には、はっと目を覚まさせるようなコトバでした。

 ドイツでは青少年についても感じることが沢山ありました。
 私の妻が少女時代にグリム童話を愛読していて、グリムの跡を辿ろうと思い
つきました。グリム兄弟のお父さんは判事(裁判官)だったので、あちこち転
勤しました。
 アールスフェルドへ行ったときの話しをしましょうか。(「ガチョウ姫」は
ゲッチンゲン)
 ※グリム兄弟Jacob.G1785〜1863、Willian.G1786〜1859.言語,文献,文学
 ※グリムの法則(比較言語学)

 フランクフルト⇒ハーナウ⇒フルダと北上してきて、フルダで支線に乗り換
えるのですが、ハーナウ==フルダ間もローカル列車に乗りました。それは3
両ぐらいの短い編成で、二階建て、やはり上に上がったのですが、次の駅から、
遠足か社会見学か、小学生4、5年生ぐらいの児童が集団で乗ってきました。
イヤリングしている女の子もいました。先生が何か言うと、よくしつけを守る
みたいでした。
 二階へ上がってきて、入り口に近い私たちになぜか、「グーテンターク」、
「グーテンターク」って言うのです。次々に言っては奥に入ります。そういう
習慣なのか、あるいは先頭の子が言ったから、次々に言うことになったのか知
りません。
 そしてそれぞれ仲良しグループごとに四人ずつ座席に収まって、がやがや、
ガムを噛んだりしてるようですが、さほど騒がしくはありません。
 そうやって一時間あまり乗ってから、乗換駅のフルダに着きます。到着の5
分以上も前だったでしょうか、先生がみんなに何か一言、すると子供達は座席
から立って、降りる準備です。次々と出口のほうへ移動します。その時また、
私たちに向って一人ずつ「ビーダーゼーエン」、「ビーダーゼーエン」と言っ
て通りすぎるのです。「ゼーエン」だけ言う子もいます。足元を見るのに一心
になりながら、「ビーダー、ゼーエン」と、途切れ途切れに言いながら、目は
こちらを向いていないで、通っていく子もいます。
 私も50回ぐらい、「ビーダーゼーエン」を言い返していました。
 最後に来た先生だけ、何も言わずに通って行きました。
(いいお子さんですね)って言いたかったのですが。

 アールスフェルドは「赤頭巾ちゃん」の出所です。物語をもう忘れたお方も、
赤い頭巾をすっぽりと被った女の子の姿は覚えておられるでしょう。
 小さな町の真ん中に広場があります。広場に入る手前に赤頭巾ちゃんの像が
あるのですが、「ずきん」なんて被っていません。
 さて広場を囲む建物の一つに鉄の輪(直径40センチぐらい、重さ50キロ
ぐらい)が嵌(は)めこまれています。牛でも繋ぐのかなあ、と思って、人に
問うてみました。
「いいえ、犯罪人を繋(つな)いだのです」。どうやらすでに罪の確定した人
を繋いで見せしめにしたようなのです。
 広場の一番奥、つまり正面の建物に入ると、屋内はほとんど土間になってい
て、そこにも鉄の輪が嵌めこまれています。これは未決の罪人を繋いだと言い
ました。
 中世のこの地域では、犯罪に対して過酷な刑が課されていたことが想像でき
ました。博物館(と言っても村の図書館程度のところですが)に、この地の風
俗が保存されていました。
 女の人は髪を頭の頂上(てっぺん)に丸め、それを布で包(くる)みます。
 ちょうどリンゴぐらいの丸いものを頭上に載せている感じになります。これ
を「Kappe」とか「Kappchen」とか言うのです。英語のキャップと同じコト
バです。赤い布でこれをすれば「Rotkappchen」で、直訳しましょうか。
 「赤いキャップちゃん」。
 実はこれが「赤ずきんちゃん」のほんとの愛称なのです。
 絵本でよく見るあんなフードに顔を包んでいるのは、間違いで、頭の上に赤
いミカンぐらいの「まげつつみ」をしている女の子なのです。
 このことは私には大発見でした。そして、ストーリーの内容とよく合う(マ
ッチする)姿でした。つまり、とても活発でおてんばな女の子が、ひとりで外
へ出てはいけませんよ、と言われているのに、森を通っておばあさんのおうち
へひとりで行くのでしょう。そして、狼に襲われる。
 フードを被っているようなそんな内気な女の子ではなかったと思えます。
 森の中のおばあさんの家へお菓子と葡萄酒を届ける時、道草はダメ、ぶらぶ
らしたらダメと注意を受けたのに、狼の相手をした。そのために喰われること
になった、おばあさんも一緒に。そういう物語です。
 中世では強姦罪の刑罰は腹を割いたそうで、二人を助け出した猟師の狼退治
の仕方とも一致していますね。
 グリム兄弟は、兄1785〜1863、弟1786〜1859(アメリカが独立し、フラン
ス革命が1789)ですから、もちろん中世の人ではありません。ドロテアという
女性(カッセルに家が保存されている)が語った民話(伝承)を二人がまとめた
ものですが、でも、女の子に「不用意に森へ行っては行けない、狼にやられる」
と戒めていますね。

 シュタイナウという小さい町があります。ドイツにはよくある風景ですが、
鉄道は町はずれにあって、下車して10分か15分か歩くことになります。
 でもドイツ人のいいとこは、どこの町でも必ずBahnhof Strasse、と書い
てある。「駅道」とでも訳しましょうか、木で道標が作ってあり、それを辿れ
ば町の中心に出られるし、また駅へ戻ることができまるのです。
 この時も、丘の中腹の駅(シュタイナウ)で下車して、坂を下り、野を横切
って、小川を越えると、町に入りました。左折は「Bruder-Grimm Strasse」、
つまり「グリム兄弟通り」なのです。そしてすぐ中心の広場に着きます。
 いつものことですが、観光案内、ーーーこんな小さな町にも観光案内所があ
って、女性がひとり、よく分かる英語で相手をしてくれます。地図をもらい、
「宿はもう決めましたか」と問われて、私は「デンハルトさんに泊まろうと思
います」と答えました。これは「地球の歩き方」に紹介してあったのです。
「それなら、あそこのApotheke(薬屋)の左を入りなさい」と教えてくれて、
パンフレットを全部ビニール手提げに入れてくれました。
手提げには「STEINAU AN DER STRASSE」とデザインされています。
 デンハルトさんとこは民宿みたいでした。
「グーテンターク」「グーテンターク」。呼んでも返事がないので勝手に入っ
ていったら、中はレストラン風のテーブルが10脚ばかり。(漱石の「草枕」
にこんな場面がありました)。
 おばさんが出てきて、「ハーベンジー、アイン、チンマー?」
「モメント、ビッテ」と、奥の主人を呼ぶのです。
 主人、「ドッペル、チンマー?」 私、「Yes.」
「アイネ、ナッハト?」 「Yes.」
「ゼーエン、ジー、ダス、チンマー?」と鍵を持って部屋を見せます。
 広くて綺麗、トイレやシャワーもよし。
「ビー、フィール(いくら)?」 主人、「ノインチッヒ(90)」
「ミット、フリュースティック(朝飯付き)?」 「Ya.」
 つまり、日本円にして6750¥、朝飯付き、二人で。
 そして荷物を降ろし、身軽になり、門限を確かめて、それから町へ出るので
す。大体いつもこの手順です。
 ここは、おとぎの遊園地みたいな部分のある町ですが、昔の裁判所が博物館
になっています。そこへ行きたかったのです。
 6月。2メートルもの塀で囲まれています。中に桜の木、というよりサクラ
ンボの木が実を沢山つけています。塀の上に4、5人の子供、6,7,8,9歳ぐら
い。男の子は直立して実を食べ、こわごわ塀に乗っている女の子もいます。
 例によって会話の練習をしましょうか。
「ゲーベン、ミア、キルシェ、ビッテ」
 すると男の子が黒い実を選んで五つ、六つ、「ビッテ」と言ってくれました。
「ダンケ、シェーン」
 女の子が、恐る恐る立って、まだ赤いのを取っています。赤いのはまだよく
熟してはいないので酸っぱいのですが、黒いのを選ぶ勇気もゆとりもありませ
ん。赤くて片面はまだ黄色いのを二つ、おずおずと塀の下の家内に手渡すので
した。
「ダンケ、シェーン」「ゲープ、アッハト(気をつけて)」
 何だかとても楽しく、去りがたく思っていると、ちょうど向かいで洗濯物を
取り込んでいるオバサンが言います。
「eine Kirsche, twei kirschen !」「Oh, danke. Vielen Kirschen!」
 つまり、サクランボは女性名詞、単数と複数を教えてくれたわけです。
 普通のオバサンが外国人にこんなにもフレンドリー、しかも教育的。

 裁判所の受付には、目の色も髪もドイツ人ですけど、私が幼いころに村で知
っている大人ととても似ているのです。宗吉さんとか光男さんとか、おしまさ
んとかおくらさんとか。
「あなたはグリムの子孫ですか」と聞いてみました。「いいえ」
 陳列されている裁判官の服や椅子なんて、一度見たらそれでいい。そこに広
げられた裁判記録をしばらく見つめました。
 もう私のドイツ語、色あせてほとんど分かりませんけれど、その記録、見開
き2頁の記録、どれも被告の名と罪状。どんな罪って? 畑の作物、野菜を盗
んだって書いてあるのです。
 これって、些細な罪ですか? でも、許されない罪ですね。
   ※15C〜16C、新大陸からジャガイモが入ります。グリムは18C〜19C。
 とある裏通りが坂道になっていました。7、8歳の男の子が二人、暴走自転
車の練習。下りに勢いをつけてきて、カーブとブレーキ、ザザーッと停まる。
交替で何度もやってました。
 自然を保存し歴史を残し、子供が子供らしく時には腕白に育つ環境にしてあ
りました。
 小川の縁は、小さな家庭菜園。じゃがいも畑でバケツに何かを取っているの
で、「何してますか?」と聞くと、オバサンは「虫取り」と答えましたが、私
のジャガイモにはバケツに取るような虫がいないので、何か分かりませんでし
た。
 家庭菜園を大事にするのも好きです。自然を大事にして身体を動かして、人
間存在の基本がここにある気がします。
 ※私の歴史観
 BC4000 エジプト文明 BC671アッシリアに制服 525ペルシャに制服される。
                   ヒエログリフ
 BC3500 メソポタミア文明   BC730アッシリアに制服
            シュメール文字 バビロニア ハンムラビの法典
  BC2500 インダス文明  インダス文字(絵文字)   BC1500滅ぶ

    とても大きな視野で歴史を見ると、
    <農耕文明>→→<都市文明・滅亡>→→<農耕文明>
 といった図になります。

 前後の文明にそう変化はないのですね。問題はなぜこうなるかということで
す。
 チンギスハンが世に出る前、草原には遊牧があった。大帝国が滅びて、やは
り以前と同じ遊牧が残るのです。
 これは自然との関わりで理解するべきです。自然に根を下ろした生活は、滅
びることはない、と私は信じます。
 今、日本経済の危機を言いますが、とてもよいヒントになると私は思ってい
ます。もちろん青少年の生き方だって例外ではありません。彼らの生活の中に、
どれくらい「自然」があるのか考えてほしいものです。
 いや、山へ行け、海へ行け、と言うようなことではなくて、毎日の生活に
「自然」を理解できなくしていることがあまりに多いということを、まず問題
視しましょう。
 @スイッチ操作だけで終わっている。つまり判断と筋肉との自然な作業が失
われている。
 A疑似環境が多すぎる。テレビ、電話をはじめ自らの住む環境を、自分に備
わった五感で自力認識することが少ない。
 B観念の世界ばかりが先行している。実体験や実認識が少ない。「殺してみ
たかった」なんて、「恐ろしい」実感覚を素通り(脱落)している。
 
 半世紀前、戦争中や戦後で、いわゆる「文明」らしいものがなかった頃、子
供にも水くみ、風呂炊き、農業労働、子守り、商業工業の家の手伝いなど、労
働が沢山ありました。遊びにはカエルを殺し蛇をいじめ、来客用に時には、鶏
を殺しました。そうやって、他の生命を奪うには、精神的に乗り越えにくいハ
ードルを越えなければならないことを知りました。
 今のスーパーマーケットに並ぶ綺麗に包装パックされた肉のスライスでは分
からない認識が、ほんとうはあるのです。
 あ、中国の肉屋を紹介しましょうか。血なまぐさい場所ですよ。自分の命さ
え危険を感じるような場所で、肉を見、血を見、そして買うのです。この辺の
部位、なんて言おうと思ったら、自分の身体で示して、改めて身震いするので
す。
 いつの間にか中国の話になりましたが、肉屋さんはフランスでもそうでした。
パリにムーランルージュって世界的に有名な大衆劇場がありますね。その界隈
の肉屋さんを紹介しましょう。
 一番店先に置いてあるのは、小鳥達です。裸になって10羽ずつぐらい、2
列めはウズラぐらいかな。その次はチキン、次はアヒル、そしてガチョウ。こ
ちらは前列がウサギ、次いで子豚ちゃんたち、お腹はもう内蔵をすっかり綺麗
に出して、目は安らかに閉じ、並んでお休みです。大人ブタも3、4頭。山羊
も、鹿はどうだったか、覚えていません。そして、梁(はり)からは大きな枝
肉、つまり牛の四肢がぶら下がっています。後ろの壁にはロープみたいにソー
セージが幾巻きも下げられています。
 私はこのとき、こう思いました。
 日本人は「肉を 食べる」。フランス人は「生命を 食べる」。この違い、
分かりますか。
 カーニバルってコトバ、謝肉祭です。
 carnaval(carnage虐殺、大流血。carnassiere肉食性の(獣))
 私たち日本人の場合、一度しか許されない生命をいただいている、大げさに
言えば、そういう気持ちを失っています。

 中国の話をしましょう。
 パック旅行では、南、中、北部と2週間程度のをそれぞれやっていて、おお
よそ中国を見たつもりでいました。
 そして、思いがけなく、日本語教師として派遣されることになりました。シ
ルバーボランティアズという団体からです。この団体には、私は不満を持って
います。問題ありですが、ここばかりでなく日本にある派遣団体にはいろいろ
と問題があることも分かりました。
 で、中国東北部、旧満州です。長春、伊藤博文が暗殺された(1909)ところ
ですが、ここが吉林省の省都です。そこから東へ、つまりこちらへ向かって北
朝鮮の方に約8時間、列車に乗ると「延吉」、そこに延辺大学があり、そこか
ら30分ぐらいで「龍井(ロンジン)」。そこに農学院(農学部)があります。
農学部に日本語学科があるのは、ちょっと理解できませんが、実際あるのです。
 相手は大学1,2年生です。
 教室では班長(室長)が「キリツ、レイ。せんせい、おはようございます」
って、また「キリツ、レイッ。せんせい、さようなら」大声で言います。
 よく勉強します。しない者(つまり諦めている者)もいます。
 60点が合格点です。追試をしますが、有料。80元ぐらい。トップクラス
の学生には奨励金が出ます。一番は80元、2番70元、3番60元。
 また成績のいいのは家庭教師に行く。月に100元〜80元。中学生相手。
 勉強の方法があまりない。早朝からキャンパスのどこかで一人で暗記してい
たりする。参考書ってない。教科書とノートだけ。
 夕方になると図書館でビデオ上映をする。
 スポーツもよくします。サッカー、バスケット。最近はテニスなども。卓球
なんか、セメントの台が木陰にいくつも作ってある。
 コンピューターなどは、まだ個人で所有する段階にはないので、コンピュー
ターバー(wang=ba。因みに酒場、つまりバーのことは ”jiu-ba ”と言う。
網=wang、酒=jiu)がいくつも出来ていて、1時間6元(90から100¥)
ぐらい。それでも自分のアドレスを持っている人が沢山いますよ。
 休日に旅行したりなんかしない。友達を訪問したり、飲んだりするだけ。
 受験競争って、日本とは異なり、情実やらコネがあるのです。入試に滑って
もコネやお金で何とかする可能性がある。時には理解を超えた話しを聞くこと
があります。
 私がよく理解できた例を一つだけ言いますから、それを通してすべてを理解
してください。
 12月、「国際日本語能力検定試験」があります。2級が受かればうれしい。
1級なんて、ひっぱりだこで高い月給のところへ就職できます。
 受験ですが、夜行列車に乗って長春の大学へいきます。
 その会場、ある一部の人(60人ぐらい)だけは、ブースターつきの視聴覚
室で受験します。その他は、教室に持ち込んだカセットデッキで、しかもそれ
ぞれ差があって、聞き難かったとこぼしていた学生もいます。
 マークシート方式の解答用紙には、すでに日本で氏名が記入されています。
それを配り間違えてた教室があり、学生に指摘されてあわてて回収し、また配
った。10分も損したそうです。「後で10分延ばすから」と言ったそうです
が、終了したらすぐ回収した、そういった例は、私の学生が私の部屋に来て話
してくれた例です。
 行ってみたら教室の変更がされていて、変更先の自分の席を見つけられず、
受験できなかった学生もいます。李美善という名で、私の所へも良く来ていま
した。
 こういうところが中国らしさでもあるのですが、日本人から見るといいかげ
んですね。不平等が至るところにあります。それでいてさほどクレームがされ
ない。
「誰の責任だ。どうしてくれるんだ」なんて言いません。
 日本人には、ルールとか正義とか公平とか平等とか、そういうキチンとした
基準があって、それから外れないようにみんなが努力している。だから外れて
いるものを見ると、あんなことでいいのか、って思いますね。
 中国では、先生を見ても公務員を見ても、ルールに厳しくもなければ公正で
もない。そう言った事態にも文句を言いません。
 能力検定を機会に日本語能力を磨こうと、私がテスト勉強のノウハウから始
めて最後には検査場に望む心構えなんかを説きました。すると、「やっぱり日
本は発達した国ですね。私は日本の教育を受けることができてほんとうに良か
った」なんて感心するのです。
 私は当然すべきこととしてやったのですから、じゃあ、中国の先生は実際に
はどうしているのか気になります。
 学生から聞こえてくるのを拾ってみると、座って授業する方も多いようです。
ヒアリングの先生は、ビデオ見せて置いて自分は廊下でタバコ吸ってる、なん
て聞こえてきます。
 テストの点、悪くてもいいんです。お金を取って追試するんですから、悪い
方がいいんじゃないか、とも思います。
 社会道徳でも、順番を守るなんて、非常に難しい国民です。それどころか逆
にスキを見て割り込む、理屈つけて優先順位を得る、なんてとても得意です。
だから物買うのに、どんな場合でも、もっと安くしなさいって言うんです。大
体言い値は売値の倍額です。
 若者は、それでも社会一般(先生も含めて)よりはすっと純粋ですから、公
平とか平等とか正義とかは、言えばよく分かってくれます。
 
 ところで意外にも儒教的考えが浸透しています。社会の現実からはほんとに
意外なんですが、子供の教育に「三字経」と言うテキストがあるのです。孔子
や孟子の教えを三文字のリズムで表現したものです。
 例えば「養不教、父之過;教不厳、師之惰」
(yang bu jiao, po zhi guo; jiao bu yuan, shi zhi duo)
(養っても教えないのは父の過ちであり、教えても厳しさがないのは教師の怠
慢だ。つまり食べさせるだけで人間教育をしなかったら、それは親が間違って
いる。また、教えてもコトバだけで厳しい実践が身に付かなたら、それは教師
が真剣に教育をしないからだ)などと言ったフレーズが目につきます。
「玉不琢、不成器;人不学、不知義」
(yu bu zhuo, bu cheng qi; ren bu xue, bu zhi yi)
(宝石でも磨かなければ製品にならない。人も学ばねば人の道を知らない)
 これは日本でもよく知られていますね。

 大まかに言えば、親とか師、目上に対して、もう日本には薄れていきそうな
ものを大事にしている。
 だから学生の作文に、母とか父、祖父母の苦労(食べる苦労が多い)をよく
書きます。自分たちは食うや食わずでも子供のために働いた姿を知っている。
卒業して就職したら最初の給料で母の○○を買う、とか、一家を楽にする、な
んて誓っています。
 若い夫婦が別れ、親子が別れて、日本へ、韓国へ出稼ぎに行く。それは自分
だけのためでではない。家族のために数年間を犠牲にするのです。
 こういう考えや実態は、かつて日本にもあったし、私の中にもあったもので
すが、今では不思議な物を見るように思えてしまいます。

 私は週に一度、名古屋に出ます。それは私に欲があって、文明の、あるいは
文化の先端を知らないでいたくないからです。自分ではこの日を学習日と称し
ています。主に語学学習が目的ですが、パソコン屋を回ったり本屋を回ったり、
時には図書館に籠もったりもします。
 で、その目的に合った行動は、それはそれでとてもいいことです。会話に進
歩があり、新しいソフトやハードの動向を知り、新刊書の名前なんかが頭に入
ってきます。そういう貴重な一日にしています。
 でも、いやなものにも出会います。そのうち三つだけ言いましょうか。
@ホームレス
 名古屋の駅周辺、白河公園近くの高速道路の下。もう集落かなんかある名称
で呼ぶような形態をを成していますね。(スラム街、貧民窟。バラック、テン
ト生活)
 この高度に発達した、と言われる日本にこういう人たちが大勢おられる、そ
してそれが放置されたままになっている日本、どう思われますか。
Aファッションや流行について
 電車の中の化粧とか短すぎるスカートとかあって、でも、それは私は好きで
なくても、別の個性の個人はそれがいいと思っている。お互いにあまりいやが
る干渉をし合わないのが、お互いの個性の尊重だと、無理に思って、私は私、
他人は他人、としています。 ところがじっとしておれないのに出会います。

 この4月6日のこと、栄で地下鉄に乗ろうとして階段を下っていると、右側
から20歳ぐらいの女の子が上がってきた、私は停まってしまいました。耳か
ら唇にかけて銀の鎖が15センチも垂れて繋がっているのです。
 あの地下鉄の人混みで何かに引っかかったらどうするのでしょうか。
 よく人の前髪が男の人のボタンに絡まって、なんてことがありましたが、こ
の鎖の場合、どうするんでしょうか。つかんでひっぱってやりたい気にもなり
ました。
 へそにワッカをはめたのを一度は見ました。
B今にも脱げそうなズボン。
 ※時間があれば、ベネチアの話し。カトリーナ

 これらの三つは、外国で、少なくとも私は見たことがありません。どうして
日本だけにあるのでしょうか。
 私が分析するのは僭越です。
 日本国民、私たちみんなが課題にしてはどうでしょうか。
 

 [付]  
          あいさつ
英語
Good morning.  Good afternoon. Good evening.  Good night. 
   Thank you. Good bye.
韓国、朝鮮語
アンニョンハセヨ(ハシムニカ)アンンヨンハセヨ    アンニョンハセヨ      アンニョンヒ・チュムセヨ
 カンサハムニダ 
スペイン語
buenos dias      buenos dias     buenas noches  buenas noches
  gracias   adios
ドイツ語
guten morgen    guten tag       guten abend    gute nacht
      danke    leben sie wohl
フランス語
bonjour                       bonsoir                  
   mercie    au revoir
中国語
早上好ザオシャンハオ ニーハオ       晩上好ワンシャンハオ      
    謝謝シエシエ 再見ツァイチェン

Grimmの法則
bruder-brother→thank-danken, this-diser, the-der/die/das,
 there-dort, think-denken, third-dritte
ムル-ミズ, マウル-ムラ, ナラ-ナラ, ウリ-オレ/ワレ, チョルチョル-チョロチョロ, チョンオリ-サヨリ, 
メミ-セミ, クロッチマン-ケレドモ, 
ノップ-ノッポ,(格助)ガ-ガ, ウル/ルル-ヲ, dwr-タチ



     

...衣食足りて礼節を知るって、
これは真理ではなかったようです。

人間、やはり、お互いの在り方を絶えず見つめ、
問題点を意識することを忘れると、
動物だった大昔の「性質」に戻ってしまうのですね。

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