.♂♂ 天下に届けたい声(2007.3.5) ♂♂

. . . テーマ 真面目が評価される社会 . .

  はじめにーーー(コラムの意図は)
   世に生きて世を見る。 この世は「私」の世でもあり、同時代を生きる「人」の世
  でもある。つまりは「共同湯」の世。...私の湯でもありみなの湯でもある。私が勝
  手に汚してはならぬ。人のことを配慮するのも当たり前。
 
  また「人」が勝手をすればそれを黙視してはいられない。「みんなの湯じゃない
  か、お互い気を付けようよ」と呼びかけ、イタヅラっ子があれば、ヨソの子でもほど
  ほどに叱らねばならぬ。
 
  ところが最近は特にだが、世の中にこういう意識の共有がなくなった。特に(を繰
  り返すが、)人の上に立つ人にその自覚がない。
 
  そこで思いついたのがこのページ。
 「社会共有意識」回復に役立てば幸いと、発する私の声である。
                 ........................背景の写真は、上高地側から見た穂高 .
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[出れば目に付く不道徳とナンセンス
               そして現状を保護隠蔽するエセ論理]

  車の違法駐車、運転席からゴミの投げ捨て、他人の自転車を
 乗り捨て、暴走車、故意の大爆音、
  道路上で見かけるものを思いつくだけでも、こんなにたくさ
 ん不道徳なものがあります。日常化しています。

  本屋さんに行ったら、意外に人が多く入っています。意外に、
 とは、活字離れ傾向にかかわらず、という思いを込めています。
 そして、みんなが何かを読んでいます。

  でも、カウンターでそれを買う人は少ないようです。つまり、
 立ち読みに来ているのですね。

  ある日、私は欲しい本を見つけ、買おうとすると、「新本」
 の表紙が上向きにめくれ曲がっているのでした。「先客」がもう
 何人もいじくったからです。
  (これは古本じゃないか)、私は思いました。

  その経験からいろいろ考えました。経過を省略して結論を言い
 ます。

  「立ち読みはドロボー行為です」 世間には分からない人が多
 いようですから、別の例えで言います。

  食べ物で例えます。大福餅だったら、立ち読みとはどういう
 行為の当たるのですか。
  蜜柑だったら、立ち読みとは、どういう行為に当たるのですか。

  答えに困りますね。敢えて答えを作ります。大福餅には他人の
 指の跡がついていて、なめた形跡が残っているのです。
  蜜柑なら、皮をむいた部分もあり、汁を吸った形跡もあるのです。

  そうです、売り物にならないじゃありませんか。

  名古屋のあるキオスクです。ここには数人が立って週刊誌を
 立ち読みしています。
  少なくとも私が苦々しく思って見つめている1,2分では、だれ
 もその場を離れないくらい、「読書」に熱中しています。ことばを
 間違いました。ヌスミヨミに夢中になっています。

  これらの週刊誌、誰が買うのでしょうか。
  キオスクは図書館でしょうか。慈善事業でしょうか。
  週刊誌は、ただ勝手に読まれるだけのために、そこに置かれて
 あるのでしょうか。

  問題はどこにあるのでしょうか。
 1、立ち読みする人のモラル低下。これは間違いありません。
 2、管理者の管理責任放棄。これは売り物です。商品です。
  商品を価値ある賞品として扱う責任を果たさねばなりません。
  せめて「立ち読みをしないでください」ぐらいの張り紙を、
  掲げてください。
 3、新本を買う人に古本を渡さないでください。そのためには、
 立ち読み終えた人の本を点検して、例えば表紙が曲がっていたら、
 「買い取ってください」と要求してください。
 (味見を終えた大福を別の人に売ることができますか)

  今日は主に「立ち読み」の話をしましたが、どんな場面でも私
 たちが真面目に考えて、それはいけない、と感じることを、口に
 出し、自分にできる行動にして、少しでも社会的に役立てていく
 ことが、総体として社会作りになるのですが、残念ながら、今の
 日本では、社会づくりというより、普通の社会の回復につながる
 のです。

  あなたも私も、社会回復の一要素です。

 




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